を切って読下した。
前略小生急用出来候ため、S地方へ旅行致すべく候。四五日は帰宅の程、覚束なく候えども、御心配御無用に御座候。尚小生今回の旅行は絶対に秘密を要するものに候間、左様お含み下され度候。
順三郎どの 林
二
不可解な伯父の手紙を坂口は幾度も繰返した。インキの乾き加減や、電球の温度から考えても、伯父が家を出たのは僅々三十分も前の事と思われた。これからすぐ自動車で停車場へ馳付ければ、伯父に会う事が出来ると思ったが。伯父の気質を知っている彼は、そのような事をしたところで、叱られこそすれ、思立った伯父の旅行を引止め得るとは思わなかった。
坂口は伯父の手紙に記された、急用、秘密、などという言葉を不思議に思った。伯父は別段商売に投資している訳でもなく、財産の幾部分を日本の営利会社の株券に換えて持っているだけで、財産全部は悉《ことごと》く銀行へ預入れてある。それ故商人に有勝ちな急用で、旅行云々などとは受取れぬ話である。殊に規律の正しい伯父が、旅行先を明記しないのも訝《おか》しい。のみならず他人とは交渉を持たない伯父の生活に、秘密のありよう筈はなかった。
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