けられるようにH公園の傍にあるパーク旅館の前へ出て了った。
 旅館から数間先に、小綺麗な酒場《バア》がある。彼はその朝軽い食事をしたのみで、午後四時になるまで、水一杯も口に入れなかった事を思出して苦笑した。それでも別に食慾はなかったが、かなり疲労《つか》れて頻りに咽喉の乾きを覚えていた。
 彼は酒場へ入って店台《カウンター》の前の丸椅子に腰をかけながら、炭酸水を交ぜたウイスキーをチビチビと飲んでいた。
 すると、羽目板を隔てた隣りの婦人室から、大声を上げて喋っている女の声が聞えて来た。何をいっているのか、坂口にはよく聴取れないが、明瞭《はっきり》した愛蘭《アイリッシュ》訛で、折々口ぎたない言葉を吐いていた。その度に二三の女達がドッと笑い崩れている。
 坂口は余り賑やかなので、何気なく店台の上から首を延して覗くと、それは慥かに火曜日の晩、コックス家の前に酔倒れていた婦人であった。
 彼女は余程酔っているらしく、片手に泡の立った黒ビールの杯《カップ》を持って、フラフラと室の中を歩廻っていた。坂口は苦々しげにその様子を眺めているうちに、フト忘れていた黒い陰影《かげ》が脳裡に拡がってきた。
 
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