場で確めてある。林は不思議に思って念の為に百二十八号室の扉を叩いてから部屋へ入り、思掛けずにビアトレスを救出す事が出来た。彼はビアトレスを護ってクロムウェル街へ赴いた。そしてコルトンからエリスへ宛てた強迫手紙を読んで、直にパラメントヒルへ馳付けたのである。彼は幾許《いくらか》の金をやってコルトンを外国へ追遣《おいや》り、エリスを救う所存であった。
 林がパラメントヒルに着いたのは九時五分過であった。彼は暗い小径を左へ折曲って、コルトンとエリスの姿を探し求めているうちに、たちまち側近くに拳銃の音を聞いた。彼は音のした方へ馳寄ると、薄《ぼんや》りとした夜霧の中を走ってゆくエリスの後姿が影絵のように見えた。彼はある怖ろしい予感に脅かされながら、疎《まばら》な木立を背景《バック》にした共同椅子の前へ出ると、コルトンが草の上へ俯せになって仆《たお》れていた。其辺にはまだ火薬の臭が漂っていた。林は確にエリスがやったのだと思った。突嗟《とっさ》の場合にも、彼はどうかしてこの犯罪を隠蔽して、哀れなエリスを救わねばならぬと焦った。彼は間もなく其処を離れて丘の下まできたところを、銃声を聞いて馳付けた警官の手に押えられてしまったのである。彼は殺人犯の有力な嫌疑者として直に所轄のH警察へ引致され、係官の厳重な取調べを受けた。
「そのうちに現場附近から、兇器の拳銃が発見される。コルトンの身許も判明し、ベースウォーター街に自宅を持ちながら、私が態々《わざわざ》パーク旅館の而も被害者の隣室に投宿したという件も知れて来て、私に対する嫌疑がいよいよ深くなっていったのです。それで仕舞には面倒になって、自分から殺人罪を承認してしまったのですよ。然し、有難い事に不思議な女が飛出して来た為に、私の無罪が判明してこの通り放免になったのです」と林は長い談話を結んだ。彼は身に覚えのない殺人罪を何故承認したのであるか。恐らく彼はエリスの名が、心ない世人の口の端《は》に上るのを虞《おそ》れて、自ら罪を引受けてしまったものと思われるが、林はエリス母子と坂口を前にして、その点に関する説明を避け極めて簡略に、且つ無造作に、かたづけてしまった。

 コックス家と林家の人々は翌朝の新聞紙によって、その怪しい女は曾《かつ》てトーマス・コルトンの情婦であった事を知った。その二人は数年間スマトラ地方で同棲していたが、其後コルトンは女
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