し少女子《おとめご》のたもとにつきぬ春のあわ雪
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 簪《かんざし》にて雪のふかさをはかるときは畳算《たたみざん》と共に、ドド逸《いつ》中の材料らしくいやみおほくしてここには適せざるが如し。「はかりし」とここには過去になりをれど「はかる」と現在にいふが普通にあらずや。「つきぬ」とは何の意味かわからず、あるいはクツツクの意か。それならば空よりふる雪のクツツキたるか下につもりたる雪のクツツキたるか、いづれにしても穏かならぬやうなり。結句に始めて雪をいへる歌にして第二句に「ふかさ」といへるは順序|顛倒《てんとう》ししかもその距離遠きは余り上手なるよみ方にあらず。[#地から2字上げ](三月三十日)

『明星』所載落合氏の歌
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舞姫が底にうつして絵扇《えおうぎ》の影見てをるよ加茂《かも》の河水
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 この歌は場所明かならず。固《もと》より加茂川附近といふ事だけは明かなれどこの舞姫なる者が如何なる処に居るか分らぬなり。舞姫は、河岸に立ちて居るか、水の中に立ちて居るか、舟に乗りて居るか、河中に置ける縁台の上に居るか、水上にさし出したる桟敷《さじき》などの上に居るか、または水に臨む高楼《こうろう》の欄干《らんかん》にもたれて居るか、または三条か四条辺の橋の欄干にもたれて居るか、別にくはしい事を聞くに及ばねど橋の上か家の内か舟の中か位は分らねば全体の趣向が感じに乗らぬなり。次に第二句の始《はじめ》に「底」といふ字ありて結句に「加茂の河水」と順序を顛倒したるは前の雪の歌と全く同一の覆轍《ふくてつ》に落ちたり。「うつして」といひて「うつれる」といはざるは殊更《ことさら》にうつして遊ぶ事をいへるなるべく、この殊更なる処に厭味あり。この種の厭味は初心の少年は甚だ好む事なるが、作者も好まるるにや。「見てをるよ」といふも少しいかがはしき言葉にて「さうかよ」と悪洒落《わるじゃれ》でもいひたくなるなり。[#地から2字上げ](三月三十一日)

『明星』所載落合氏の歌
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むらさきの文筥《ふばこ》の紐《ひも》のかた/\をわがのとかへて結びやらばいかに
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「わがのと」とは「わが紐と」といふ事なるべけれど我の紐といふ事十分に解せられず。我文筥の紐か、我羽織の紐か、我|瓢箪《ひょうたん》の紐か、はたその紐の色は赤か青か白か黒か、もしまた紫ならば同じ濃さか同じ古さか、それらも聞きたくなきにはあらねど作者の意はさる形の上にあらずして結ぶといふ処にあるべく、この文筥は固《もと》より恋人の文を封じ来れる者と見るべければ野暮評は切りあげて、ただ我らの如き色気なき者にはこの痴なる処を十分に味ひ得ざる事を白状すべし。一つ気になる事は結ばれたるかたかたの紐はよけれど、それがために他のかたかたの紐の解かれたるは縁喜《えんぎ》悪きにあらずや。売卜《ばいぼく》先生をして聞かしめば「この縁談初め善く末わろし狐が川を渉《わた》りて尾を濡らすといふかたちなり」などいはねば善いがと思ふ。[#地から2字上げ](四月一日)

『明星』所載落合氏の歌
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君が母はやがてわれにも母なるよ御手《みて》とることを許させたまへ
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 男女のなからひか義兄弟の交りかいづれとも分らねど今の世に義兄弟といふやうな野暮もあるまじく、ここは男女の中なる事疑ひなし。男女の中とした処で、この歌は男より女に向ひていへる者か女より男に向ひていへる者か分らず。昔ならばやさしき女の言葉とも見るべけれど今の世は女よりも男の方にやさしきにやけたるが多ければ、ここも男の言葉と見るが至当なるべし。「御手とる」とは日本流に手を取りて傍《かたわら》より扶《たす》くる意にや。西洋流に握手の礼を行ふ意にや。日本流ならば善けれどもし西洋流とすれば母なる人の腕が(老人であるだけ)抜けはせずやと心配せらるるなり。それから今一つ変に思はるるは母なる人の手を取ることの許可を母その人に請《こ》はずしてかへつてその人の娘たる恋人に請ひし事なり。されど手を取るといふ事及びかくいひし場合明瞭ならざれば詳しく評せんに由なし。
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この身もし女なりせでわがせことたのみてましを男らしき君
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「せで」は「せば」の誤植なるべし。「女にて見たてまつらまし」など『源氏物語』にあるより翻案したるか。されどそれは男の形のうつくしきを他の男よりかく評せるなり。しかるにこの歌は男の男らしきを側《そば》の男よりほめて「君はなかなか男らしくて頼もしい奴だ、僕が女ならとうから君に惚れちよるよ」抔《など》いふのであるから殺風景にして少しも情の写りやうなし。前者は女的男を他の男が評する事|故《ゆえ》至極《しごく》尤《もっとも》と思はるれど、この歌の如きは男的男を他の男が評する事故余り変にして何だかいやな気味の悪い心持になるなり。畢竟《ひっきょう》この歌にて「男らしき」といふ形容詞を用ゐたるが悪きにて、かかる形容詞はなくてもすむべく、また他の詞《ことば》を置きてもよかりしならん。[#地から2字上げ](四月二日)

『明星』所載落合氏の歌
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まどへりとみづから知りて神垣《かみがき》にのろひの釘《くぎ》をすてゝかへりぬ
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 この種の歌いはゆる新派の作に多し。趣向の小説的なる者を捕へてこれを歌に詠みこなす事は最も難きわざなるにただ歴史を叙する如き筆法に叙し去りて中心もなく統一もなき無趣味の三十一文字となし自《みずか》ら得たりとする事初心の弊《へい》なり。この歌もまた同じ病に罹りたるが如し。先づこの歌の作者の地位に立つべき者はのろひ釘《くぎ》の当人と見るべきか、もし当人が自分の事を叙すとせば「すてゝかへりぬ」といふ如き他人がましき叙しやうあるべからず。また傍観者の歌とせんか、秘密中の秘密に属するのろひ釘を見る事もことさらめきて誠《まこと》しからず、はた「惑へりと自ら知りて」とその心中まで明瞭に見抜きたるもあるべき事ならず。されど場合によりては小説家が小説を叙する如く、秘密なる事実は勿論、その心中までも見抜きて歌に詠む事全くなきにあらねどそは至難のわざなり。この歌の如く「すてゝかへりぬ」と結びては歴史的即ち雑報的の結末となりて美文的即ち和歌的の結末とはならず。つまりこの歌は雑報記者が雑報を書きたる如き者にして少しも感情の現れたる処なし。これでは先づ歌の資格を持たぬ歌ともいふべきか。釘をすてて帰るなどいふ事も随分変的な想像なれど一々に論ぜんはうるさければ省く事とすべし。妄評々々死罪々々。[#地から2字上げ](四月三日)

 春雨の朝からシヨボシヨボと降る日は誠に静かで小淋《こさび》しいやうで閑談に適して居るから、かういふ日に傘さして袖濡らしてわざわざ話しに来たといふ遠来の友があると嬉しからうがさういふ事は今まであつた事がない。今日も雨が降るので人は来ず仰向《あおむけ》になつてぼんやりと天井を見てゐると、張子《はりこ》の亀もぶら下つてゐる、芒《すすき》の穂の木兎《みみずく》もぶら下つてゐる、駝鳥《だちょう》の卵の黒いのもぶら下つてゐる、ぐるりの鴨居《かもい》には菅笠《すげがさ》が掛つてゐる、蓑《みの》が掛つてゐる、瓢《ひさご》の花いけが掛つてゐる。枕元を見ると箱の上に一寸ばかりの人形が沢山並んでゐる、その中にはお多福《たふく》も大黒《だいこく》も恵比寿《えびす》も福助《ふくすけ》も裸子《はだかご》も招き猫もあつて皆笑顔をつくつてゐる。こんなつまらぬ時にかういふオモチヤにも古笠などにも皆足が生えて病牀のぐるりを歩行《ある》き出したら面白いであらう。[#地から2字上げ](四月四日)

 恕堂《じょどう》が或日大きな風呂敷包を持て来て余に、音楽を聴くか、といふから、余は、どんな楽器を持て来たのだらうと危みながら、聴く、と答へた。それから瞳を凝《こら》して恕堂のする事を見てゐると、恕堂は風呂敷を解いて蓄音器を取り出した。この器械は余は始て見たので、一尺ほどのラツパが突然と余の方を向いて口を開いたやうにしてゐたのもをかしかつた。それからまた箱の中から竹の筒を六、七寸に切つたやうなものを取り出した。これが蝋《ろう》なので、この蝋の表面に極めて微細な線がついてをるのは、これが声の痕《あと》であるさうな。これを器械にかけてねぢをかけると、ひとりでにブル/\/\/\といひ出す。この竹の筒のやうなものが都合《つごう》十八あつたのを取り更《か》へ取り更へてかけて見たが、過半は西洋の歌であるので我々にはよくわからぬ。しかし日本の唱歌などに比べると調子に変化があつて面白く感じる。日本のは三つほどの内に越後獅子《えちごじし》の布を晒《さら》す所ぢやといふのが一つあつた。それは甚だ面白かつた。西洋の歌の中にラフイング、ソング(笑歌)と題するのがあつて何の事だかわからぬが、調子は非常な急な調子で、ところどころに笑ひ声が這入《はい》つてゐる歌であつた。これは笑ひ声に巧みなといふ評判の西洋音楽師が吹き込むだんださうで今試みにこの歌を想像して見ると、
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鴉《からす》が五、六羽飛んで来て、権兵衛の頭に糞かけた。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
神鳴り四、五匹ゴロ/\/\、雲の上からスツテンコロ/\、物ほし台にひかかつた。太鼓が破れて滅茶々々だ。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
猫屋の婆さん四十島田、猫の子十匹産み居つた。白猫黒猫三毛猫山猫招き猫。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
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といふやうにも聞えた。しかし原作がこんなに俗であるかどうかそれは知らぬ。[#地から2字上げ](四月五日)

 故|陸奥宗光《むつむねみつ》氏と同じ牢舎に居た人に、陸奥はどんな人か、と問ふたら、眼から鼻へ抜けるやうな男だ、といふ答であつた。今生きて居る人にも眼から鼻へ抜けるほどの利口者といはれて居るのが二、三人はある。自分も一度かういふ人に逢ふて、眼から鼻へ抜ける工合を見たいものだ。[#地から2字上げ](四月六日)

 この頃は左の肺の内でブツ/\/\/\といふ音が絶えず聞える。これは「怫《ぶつ》々々々」と不平を鳴らして居るのであらうか。あるいは「仏々々々」と念仏を唱へて居るのであらうか。あるいは「物々々々」と唯物説《ゆいぶつせつ》でも主張して居るのであらうか。[#地から2字上げ](四月七日)

 僕は子供の時から弱味噌《よわみそ》の泣味噌《なきみそ》と呼ばれて小学校に往ても度々泣かされて居た。たとへば僕が壁にもたれて居ると右の方に並んで居た友だちがからかひ半分に僕を押して来る、左へよけようとすると左からも他の友が押して来る、僕はもうたまらなくなる、そこでそのさい足の指を踏まれるとか横腹をやや強く突かれるとかいふ機会を得て直《ただち》に泣き出すのである。そんな機会はなくても二、三度押されたらもう泣き出す。それを面白さに時々僕をいぢめる奴があつた。しかし灸を据ゑる時は僕は逃げも泣きもせなんだ。しかるに僕をいぢめるやうな強い奴には灸となると大騒ぎをして逃げたり泣いたりするのが多かつた。これはどつちがえらいのであらう。[#地から2字上げ](四月八日)

 一 人間一匹
 右|返上《へんじょう》申候但時々幽霊となつて出られ得る様|以特別《とくべつをもって》御取計|可被下《くださるべく》候也
  明治三十四年月日               何がし
     地水火風《ちすいかふう》御中[#地から2字上げ](四月九日)

 余の郷里にては時候が暖かになると「おなぐさみ」といふ事をする。これは郊外に出て遊ぶ事で一家一族近所|合壁《かっぺき》などの心安き者が互にさそひ合せて少きは三、四人多きは二、三十人もつれ立ちて行くのである。それには先づ各自各家に弁当かまたはその他の食物を用意し、午刻《ごこく》頃より定めの場所に行きて陣取る。その場所は多く川辺の芝生にする。川が近くなければ水を得る事が出来ぬからである。
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