り。されど百畳の広間にて茶を玩ぶの工夫もなかるべからず。掛軸と挿花《そうか》と同時にせずといふも道理ある事なり。されど掛軸と挿花と同時にするの工夫もなかるべからず。室《へや》の構造装飾より茶器の選択に至るまで方式にかかはらず時の宜《よろ》しきに従ふを賞玩《しょうがん》すべき事なり。
何事にも半可通《はんかつう》といふ俗人あり。茶の道にても茶器の伝来を説きて価の高きを善しと思へる半可通少からず。茶の料理なども料理として非常に進歩せるものなれど進歩の極、堅魚節《かつおぶし》の二本と三本とによりて味噌汁の優劣を争ふに至りてはいはゆる半可通のひとりよがりに堕ちて余り好ましき事にあらず。凡《すべ》て物は極端に走るは可なれどその結果の有効なる程度に止めざるべからず。
茶道に配合上の調和を論ずる処は俳句の趣味に似たり。茶道は物事にきまりありて主客各※[#二の字点、1−2−22]そのきまりを乱さざる処甚だ西洋の礼に似たりとある人いふ。[#地から2字上げ](三月三日)
誤りやすき字左に
盡[#「盡」に白丸傍点]は書畫の字よりは横画一本少きなり。聿《いつ》の如く書くは誤れり。行書《ぎょうしょ》にて聿の如く書くことあれどもその場合には四箇の点を打たぬなり。
※[#「二点しんにょう+兔」、第3水準1−92−57][#「※[#「二点しんにょう+兔」、第3水準1−92−57]」に白丸傍点]と※[#「寛の「儿」を「兔」のそれのように、第3水準1−47−58][#「※[#「寛の「儿」を「兔」のそれのように、第3水準1−47−58]」に白丸傍点]とには点あり。この点を知らぬ人多し。
學覺[#「學覺」に白丸傍点]などいふ「かく」の字と與譽[#「與譽」に白丸傍点]などいふ「よ」の字とは上半《じょうはん》の中の処異なり。しかるに両者を混同して書ける者たとへば學の字の上半を與《よ》の字の如く書ける者書籍の表題抔にも少からず。
※[#「内」の「人」に代えて「入」、47−7]兩[#「※[#「内」の「人」に代えて「入」、47−7]兩」に白丸傍点]共に入《にゅう》を誤りて人に書くが多し。
喬[#「喬」に白丸傍点]の夭《よう》を天に誤り、※[#「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、47−8]※[#「門<壬」、47−8][#「※[#「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、47−8]※[#「門<壬」、47−8]」に白丸傍点]の壬《じん》を王に誤るが多し。
傘[#「傘」に白丸傍点]は人冠に人四箇に十なり。しかるに十字の上にも中にも横の棒を引く事古きよりの習ひと見えたり。
吉[#「吉」に白丸傍点]の士《さむらい》を土に誤り書く者多し。
舍[#「舍」に白丸傍点]は人冠に舌なり。されど人冠に土に口を書きし字も古き法帖《ほうじょう》に見ゆ。
臼[#「臼」に白丸傍点]の下の処は一を引くなり。兒[#「兒」に白丸傍点]も同じ。されどこの一の棒の中を切りて二画に書くは書きやすきためにや。
鼠[#「鼠」に白丸傍点](ねずみ)の上の処は臼《うす》なり。しかるにこの頃|※[#「獵のつくり」、第4水準2−8−77]《ろう》の字を書く人あり。後者は※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1−91−71]獵臘などの字の旁《つくり》にて「ろふ」「れふ」の音なり。
易[#「易」に白丸傍点]は日に勿なり。賜[#「賜」に白丸傍点]の字。※[#「りっしんべん+易」、第3水準1−84−53][#「※[#「りっしんべん+易」、第3水準1−84−53]」に白丸傍点]の字など皆同じ。されど陽揚腸場楊湯[#「陽揚腸場楊湯」に白丸傍点]など陽韻《よういん》に属する字の旁は易《えき》の字の真中に横の棒を加へたるなり。
※[#「懶−りっしんべん」、第3水準1−92−26]獺※[#「さんずい+懶のつくり」、第3水準1−87−30]懶[#「※[#「懶−りっしんべん」、第3水準1−92−26]獺※[#「さんずい+懶のつくり」、第3水準1−87−30]懶」に白丸傍点]などの旁は負なり頁《おおがい》に非ず。
「ちり」は塵[#「塵」に白丸傍点]なり。しかるに艸冠《くさかんむり》をつけて※[#「くさかんむり/塵」、第4水準2−87−4]の字を書く人あり。後者は艸名《そうめい》(よもぎの訓あり)ならん、「ちり」の字にはあらず。こは塵《ちり》の草体《そうたい》が艸冠の如く見ゆるより誤りしか。
解[#「解」に白丸傍点]は角《つの》に刀に牛なり。牛の字を井《せい》に誤るが多し。
漢字廃止論のあるこの頃かかる些少《さしょう》の誤謬《ごびゅう》を正すなど愚の至《いたり》なりと笑ふ人もあるべし。されど一日なりとも漢字を用ゐる上は誤なからんを期するは当然の事なり。いはんや国文に漢字を廃するも漢字は永久に滅びざるをや。但かかる事は数十年慣れ来りし誤を一朝に改めんとすれば非常に困難を覚ゆれど初め教へらるる時に正しき字を教へこまるれば何の困難もなき事なり。小学校の先生たちなるべく正しき字を教へたまへ。[#地から2字上げ](三月四日)
誤りやすき字左に
段鍛[#「段鍛」に白丸傍点]は「たん」にして假蝦鰕霞遐は「か」なり。段と※[#「蝦−虫」、第4水準2−3−64]《か》と扁《へん》もつくりも異なるを混同して書く人多し。
蒹葭[#「蒹葭」に白丸傍点]は「あし」「よし」の類なるべし。葭簀張《よしずばり》の葭も同字なり。しかるに近頃葮[#「葮」に白三角傍点]の字を用ゐる人あり。後者は字引に「むくげ」とあるはたしかならねど「よし」にあらざるは勿論なり。
「おき」は沖[#「沖」に白丸傍点]なり。しかるにこの頃は二水《にすい》の冲[#「冲」に白三角傍点]の字を用ゐる人多し。両字とも水深の意なきにあらねど我邦《わがくに》にて「おき」の意に用ゐるは字義より来るに非ずしてむしろ水[#「水」に白丸傍点]の真中[#「中」に白丸傍点]といふ字の組立より来るに非《あらざ》るか。
汽[#「汽」に白三角傍点]車の汽を※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6][#「※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]」に白三角傍点]と書く人多し。字引に汽は水气《すいき》也とあるを福沢翁の見つけ出して訳字に当てたるなりと。※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]の字もあれど意義異なり。
四[#「四」に白丸傍点]の字の中は片仮名のルの字の如く右へ曲ぐるなり。讀贖[#「讀贖」に白丸傍点]などのつくりの中の処も四を書くなり。されど賣[#「賣」に白丸傍点]の字の中の処は四の字に非ず。右へ曲ぐる事なく真直に引くなり。いささかの事故どうでもよけれどただ讀(とく)のつくりが賣(ばい)の字に非ることを知るべし。
奇[#「奇」に白丸傍点]の字の上の処は大の字なり。奇の字を字引で引かんとならば大の部を見ざるべからず。されど立の字の如く書くも古き代《よ》よりの事なるべし。
逢蓬峯[#「逢蓬峯」に白丸傍点]は「ほう」にして降絳[#「降絳」に白丸傍点]は「こう」なり。終りの処少し違へり。
※[#「女+※[#「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2−85−54]」、49−15][#「※[#「女+※[#「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2−85−54]」、49−15]」に白丸傍点](ひめ)の字のつくりは臣に非ず。
士と土、爪と瓜、岡と罔《もう》、齊と齋、戊《ぼ》と戌《じゅつ》、これらの区別は大方知らぬ人もなけれど商[#「商」に白丸傍点](あきなひ)と※[#「摘のつくり」、第4水準2−4−4][#「※[#「摘のつくり」、第4水準2−4−4]」に白丸傍点](音テキ)、班[#「班」に白丸傍点](わかつ)と斑[#「斑」に白丸傍点](まだら)の区別はなほ知らぬ人少なからず。
以上挙げたる誤字の中にも古くより書きならはして一般に通ずる者は必ずしも改むるにも及ばざるべし。但甲の字と乙の字と取り違へたるは是非とも正さざるべからず。
甲の字と乙の字と取り違へたる場合は致し方なけれど或る字の画を誤りたる場合はこれを印刷に附する時は自《おのずか》ら正しき活字に直る故印刷物には誤字少き訳なり。けだし活字の初は『康熙字典《こうきじてん》』によりて一字々々作りたりといへば活字は極めて正しき者にてありき。しかるに近来出来たる活字は無学なる人の杜撰《ずさん》に作りしものありと見えて往々|偽字《ぎじ》を発見する事あり。せめては活字だけにても正しくして世の惑《まどい》を増さざるやうしたき者なり。[#地から2字上げ](三月五日)
自分は子供の時から湯に入る事が大嫌ひだ。熱き湯に入ると体がくたびれてその日は仕事が出来ぬ。一日汗を流して労働した者が労働がすんでから湯に入るのは如何にも愉快さうで草臥《くたびれ》が直るであらうと思はれるがその他の者で毎日のやうに湯に行くのは男にせよ女にせよ必ずなまけ者にきまつて居る。殊に楊枝《ようじ》をくはへて朝湯に出かけるなどといふのは堕落の極である。東京の銭湯は余り熱いから少しぬるくしたら善からうとも思ふたがいつそ銭湯などは罷《や》めてしまふて皆々冷水摩擦をやつたら日本人も少しは活溌になるであらう。熱い湯に酔ふて熟柿《じゅくし》のやうになつて、ああ善い心持だ、などといふて居る内に日本銀行の金貨はどんどんと皆外国へ出て往てしまふ。[#地から2字上げ](三月六日)
自分が病気になつて後ある人が病牀のなぐさめにもと心がけて鉄網《かなあみ》の大鳥籠を借りて来てくれたのでそれを窓先に据ゑて小鳥を十羽ばかり入れて置いた。その中にある水鉢の水をかへてやると総ての鳥が下りて来て争ふて水をあびる様が面白いので病牀からながめて楽しんで居る。水鉢を置いてまだ手を引かぬ内にヒワが一番先に下りて浴びる。浴び様も一番上手だ。ヒワが浴びるのは勢ひが善いので目《ま》たたく間に鉢の水を半分位羽ではたき散らしてしまふ。そこで外の鳥は残りの乏しい水で順々に浴びなくてはならぬやうになる。それを予防するつもりでもあるまいが後にはヒワが先づ浴びようとするとキンバラが二羽で下りて来てヒワを追ひ出し二羽並んで浴びてしまふ。その後でジヤガタラ雀が浴びる。キンカ鳥も浴びる。カナリヤも浴びる。暫《しばら》くは水鉢のほとりには先番後番と鳥が詰めかけて居る。浴びてすんだ奴は皆高いとまり木にとまつて頻《しき》りに羽ばたきして居る。その様が実に愉快さうに見える。考へて見ると自分が湯に入る事が出来ぬやうになつてからもう五年になる。[#地から2字上げ](三月七日)
余は漢字を知る者に非ず。知らざるが故に今更に誤字に気のつきしほどの事なれば余の言ふ所必ず誤あらんとあやぶみしが果してある人より教をたまはりたり。因《よ》つて正誤かたがたこれを載せ併《あわ》せてその好意を謝す。
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(略)※[#「懶−りっしんべん」、第3水準1−92−26]※[#さんずい+懶のつくり、第3水準1−87−30]獺懶等の旁《つくり》は負なり頁《おおがい》にあらずとせられ候へども負にあらず※[#「刀/貝」、52−4]の字にて貝の上は刀に候勝負の負とは少しく異なり候右等の字は剌《らつ》より音生じ候また※[#「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52−5]の下は壬にあらず※[#「壬」の下の横棒が長いもの、52−5](音テイ)に候※[#「呈」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52−6]※[#「望」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの、52−6]等皆同様に御座候右些細の事に候へども気付たるまま(一老人|投《とうず》)
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またある人より
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(略)菩薩《ぼさつ》薩摩の薩は字原|薛《せつ》なり博愛堂『集古印譜』に薩摩国印は薛……とあり訳経師《やっきょうし》が仮釈《かしゃく》にて薛に二点添付したるを元明《げんみん》より産の字に作り字典は薩としあるなり唐には決して産に書せず云々
[#ここで字下げ終わり]
右の誤は字典にもあり麑島《かごしま》人も仏教家
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