ざりしは千古の惨事とすべし。元義の終始不遇なるに対して曙覧が春嶽《しゅんがく》の知遇を得たるは晩年やや意を得たるに近し、しかも二人共に王家の臣たる能はざりしは死してもなほ遺憾あるべきにや。
 曙覧は汚穢《おわい》を嫌はざりし人、されど身のまはりは小奇麗《こぎれい》にありしかと思はる。元義は潔癖の人、されど何となくきたなき人には非《あらざ》りしか。
 四家の歌を見るに、実朝と宗武とは気高くして時に独造の処ある相似たり。但《ただし》宗武の方、覇気やや強きが如し。曙覧は見識の進歩的なる処、元義の保守的なるに勝れりとせんか、但伎倆の点において調子を解する点において曙覧は遂に元義に如かず。故に曙覧の歌の調子ととのはぬが多きに反して元義の歌は殆《ほとん》ど皆調子ととのひたり。されど元義の歌はその取る所の趣向材料の範囲余りに狭きに過ぎて従つて変化に乏しきは彼の大歌人たる能はざる所以《ゆえん》なり。彼にしてもし自《みずか》ら大歌人たらんとする野心あらんかその歌の発達は固《もと》より此《ここ》に止まらざりしや必せり。その歌の時に常則を脱する者あるは彼に発達し得べき材能の潜伏しありし事を証して余《あまり》
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