歯を磨くにも多量の塩を用ゐ厠《かわや》用の紙さへも少からず費すが如き有様なりしかば誰も元義の寄食し居るを好まざりきといふ。
 元義は髪の結ひ方に好みありて数里の路を厭《いと》はずある髪結師のもとに通ひたりといふ。
 元義ある時刀の鞘《さや》があやまつて僧の衣に触れたりとて漆《うるし》の剥《は》ぐるまでに鞘を磨きたりといふは必ずしも潔癖のみにはあらず彼の主義としてひたぶるに仏教を嫌ひたるがためなるべし。
 元義は藤井高尚《ふじいたかなお》の門人|業合大枝《なりあいおおえ》を訪ひて、志を話さんとせしに大枝は拒みて逢はざりきといふ。
 元義には師匠なく弟子なしといふ。
 元義に万葉の講義を請ひしに元義は人丸《ひとまろ》の太子《たいし》追悼の長歌を幾度も朗詠して、歌は幾度も読めば自《おのずか》ら分るものなり、といひきといふ。
 脱藩の者は藩中に住むを許さざりしが元義は黙許の姿にて備前の田舎に住みきといふ。
 元義の足跡は山陰山陽四国の外に出でず。京にも上りし事なしといふ。
 以上事実の断片を集め見ば元義の性質と境遇とはほぼこれを知るを得べし。国学者としての元義は知らず、少くとも歌につきて箇程《
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