ればこの句も無論《むろん》寺の内で僧の念仏し居る様には非るべし。
[#ここから5字下げ]
此村に長生多き岡見かな
[#ここで字下げ終わり]
「老人が沢山来て岡見をしてゐる」のではなく老人の多い目出たい村を岡見してゐる事ならん。
附けていふ、碧梧桐《へきごとう》近時|召波《しょうは》の句を読んで三歎す。余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事|太祇《たいぎ》蕪村《ぶそん》几董《きとう》にも勝るかと思ふ。太祇蕪村一派の諸家その造詣《ぞうけい》の深さ測るべからざる者あり。暁台《きょうたい》闌更《らんこう》白雄《しらお》らの句|遂《つい》に児戯《じぎ》のみ。[#地から2字上げ](五月二日)
ある人いふ勲位《くんい》官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜撰《ずさん》の説をなし世人を毒するは医界の罪人といはざるべからず、世には山師《やまし》流の医者も多けれどただ金まうけのためとばかりにてその方法の無効無害なるはなほ恕《じょ》すべし、日本人は牛肉を食ふに及ばずなど言ふ牽強附会《けんきょうふかい》の説をつくりちよつと旧弊家|丁髷《ちょんまげ》連を籠絡《ろうら
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