慶《ふなべんけい》」一番|謡《うた》ひ去る。[#地から2字上げ](六月三十日)
健康な人は蚊が少し出たばかりの事で大騒ぎやつてうるさがつて居る。病人は蒲団《ふとん》の上に寐たきり腹や腰の痛さに堪へかねて時々わめく、熱が出|盛《さか》ると全体が苦しいから絶えずうなる、蚊なんどは四方八方から全軍をこぞつて刺しに来る。手は天井からぶらさがつた力紐《ちからひも》にすがつて居るので蚊を打つ事は出来ぬ。仕方がないので蚊帳《かや》をつると今度は力紐に離れるので病人は勢力の半《なかば》を失ふてしまふ。その上にもし夜が眠られぬと来るとやるせも何もあつたものぢやない。[#地から2字上げ](七月一日)
鮓《すし》の俳句をつくる人には訳も知らずに「鮓桶」「鮓|圧《お》す」などいふ人多し。昔の鮓は鮎鮓《あゆずし》などなりしならん。それは鮎を飯の中に入れ酢をかけたるを桶の中に入れておもしを置く。かくて一日二日長きは七日もその余も経て始めて食ふべくなる、これを「なる」といふ。今でも処によりてこの風残りたり。鮒鮓《ふなずし》も同じ事なるべし。余の郷里にて小鯛《こだい》、鰺《あじ》、鯔《ぼら》など海魚を用ゐるは海国の故なり。これらは一夜圧して置けばなるるにより一夜鮓ともいふべくや。東海道を行く人は山北にて鮎の鮓売るを知りたらん、これらこそ夏の季に属すべき者なれ。今の普通の握り鮓ちらし鮓などはまことは雑《ぞう》なるべし。[#地から2字上げ](七月二日)
底本:「墨汁一滴」岩波文庫、岩波書店
1927(昭和2)年12月15日第1刷発行
1984(昭和59)年3月16日第15刷改版発行
1998(平成10)年1月5日第35刷発行
※文意を保つ上で必要と判断した箇所では、JIS X 0208の包摂規準を適用せず、以下のように外字注記しました。
「麻」→「麾−毛」
「摩」→「「麾」の「毛」に代えて「手」」
「磨」→「「麾」の「毛」に代えて「石」」
「魔」→「「麾」の「毛」に代えて「鬼」」
「兎」→「「兎」の「儿」を「兔」のそれのように」
「免」→「「免」の「儿」を「兔」のそれのように」
「塚」→「「土へん+冢」、第3水準1−15−55」
「全」→「入/王」
「愈」→「兪/心」
「祇」→「示+氏」
「逸」→「「二点しんにょう+兔」、第3水準1−92−57」
「寛」→「「寛の「儿」を「兔」のそれのように、第3水準1−47−58」
「内」→「「内」の「人」に代えて「入」」
「聖」→「「聖」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの」
「閏」→「門<壬」
「蝋」→「「虫+鑞のつくり」、第3水準1−91−71」
「頼」→「「懶−りっしんべん」、第3水準1−92−26」
「瀬」→「「さんずい+懶のつくり」、第3水準1−87−30」
「姫」→「女+※[#「臣」の「コ」に代えて「口」、第4水準2−85−54]」
「負」→「刀/貝」
「壬」→「「壬」の下の横棒が長いもの」
「呈」→「「呈」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの」
「望」→「「望」の「王」に代えて「壬」の下の横棒が長いもの」
※「産」は、底本中三月八日付本文「元明《げんみん》より産の字に作り字典は薩としあるなり唐には決して産に書せず云々」に用いられた二箇所でのみ、「立」が交差する、「顏」の当該箇所の形につくってありました。その他の本文ではすべて、交差しない字体が使われています。これらは意図的に使い分けられた可能性がありますが、外字注記をせずとも文意を損なうことはないと判断し、「産」で入力しました。
※「読みにくい語、読み誤りやすい語には現代仮名づかいで振り仮名を付す。」との方針による底本のルビを、拗音、促音は小書きして入力しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※二行にわたる始め波括弧は、けい線素片の組み合わせに置き換えました。
入力:山口美佐
校正:川向直樹
2005年6月13日作成
2005年11月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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