し。容易に君の揮毫《きごう》を得たるを喜んで皆ホクホクとして帰る。これらは君が人に頼まれて勉強する一例なり。[#地から2字上げ](六月二十八日)
不折君と為山氏は同じ小山門下の人で互に相識る仲なるが、いづれも一家の見識を具《そな》へ立派なる腕を持ちたる事とて、自《おのずか》ら競争者の地位にあるが如く思はる。よし当人は競争するつもりに非《あらざ》るも傍にある余ら常に両者を比較して評する傾向あり。しかも二人の画も性質も挙動も容貌も一々正反対を示したるは殊に比較上興味を感ずる所以《ゆえん》なり。二人の優劣は固より容易に言ふべからざるも互に一長一短ありて甲越《こうえつ》対陣的の好敵手たるは疑ふべきにあらず。先づその容貌をいはんに為山氏は丈高く面《おも》長く全体にすやりとしたるに反し、不折君は丈低く面鬼の如く髯《ひげ》ぼうぼうとして全体に強き方なり。為山氏は善き衣善き駒下駄を著《つ》け金が儲《もう》かれば直《ただち》に費しはたすに反して不折君は粗衣粗食の極端にも耐へなるべく質素を旨として少しにても臨時の収入あればこれを貯蓄し置くなり。君が赤貧《せきひん》洗ふが如き中より身を起して独力を以て住屋と画室とを建築し、それより後二年ならずして洋行を思ひ立ちしかも他人の力を借らざるに至ては君が勤倹の結果に驚かざるを得ず。為山氏は余り議論を好まず普通の談話すら声低くして聞き取りがたきほどなるに反して不折君は議論は勿論、普通の談話も声高く明瞭なり。為山氏は感情の人にして不折君は理窟の人なり。為山氏は無精なる方にて不折君は勉強家の随一なり。為山氏は酒も飲み煙草も飲む、不折君は酒も飲まず煙草も飲まず。凡《およ》そこれらの性質嗜好の相違はさる事ながらその相異が尽《ことごと》く画の上にあらはるるに至つて益※[#二の字点、1−2−22]興味を感ずるなり。
為山氏の画は巧緻《こうち》精微《せいび》、不折君の画は雅樸《がぼく》雄健《ゆうけん》。為山氏は熟慮して後に始めて筆を下し不折君はいきなりに筆を下して縦横に画きまはす。為山氏は一草一木を画きて画となす事も少からねど不折君は寸大の紙にもなほ山水村落の大景を描く癖あり。同一の物を写生するに為山氏のは実物よりもやや丈高く画き不折君のは実物よりもやや丈低く画く。為山氏は何か画いても自分の気に入らねば直に捨てて顧みず、不折君は一旦画き初めし者はどうでもかうでも仕上げてしまふ。為山氏は調子に乗つて画く、調子乗らざればいつまでも画かず、不折君は初より終まで孜々《しし》として怠らずに画く。これらの相異枚挙に遑《いとま》あらず。(二人相似の点もなきに非ず)
余はなほ多くを言はんと思ひしも不折君出発後敵なきに矢を放つもいかがなれば要求質問注意の箇条を節略して左に記し以て長々しき文章の終となし置くべし。
剛慢《ごうまん》なるは善し。弱者後輩を軽蔑する莫《なか》れ。
君は耳遠きがために人の話を誤解する事多し。注意を要す。(少しほめたるを大《おおい》にほめたるが如く思ふ誤即ち程度の誤最も普通なり)
人二人互に話し居る最中に突然横合から口を出さぬやう注意ありたし。
余りうかれぬやうありたし。
画の事につきてとかうの注意がましき事をいふなどは余り生意気の次第なれど余は予《かね》てより君に向つていひたく思ひながらもこの頃の容態にては君に聞ゆるほどの声を出す能はず、因《よ》つてここに一言するなり。そは君の嗜好が余りに大、壮などいふ方に傾き過ぎて小にして精、軽にして新などいふ方の画を軽蔑し過ぎはせずやといふ事なり。近年君の画を見るにややその嗜好を変じ今日にては必ずしもパノラマ的全景をのみ喜ぶ者には非るべけれどなほややもすれば広袤《こうぼう》の大なる場所を貴ぶの癖なきに非ず。油画にてはなけれど小き書画帖に大きなる景色を画いて独り得々たるが如きも余は久しき前より心にこれを厭はしく思へり。大景必ずしも悪からずといへども大景(少くとも家屋と樹木と道路位は完備せる)でありさへすれば画になる如く思へるは如何にしても君が大景に偏するを証すべきなり。しかし余は大景を捨てて小景を画けといふに非ず、ただ君の嗜好の偏するにつきて平生意見の衝突すれども直に言はれざりし不平をここに僅《わず》かに漏らすのみ。
西洋へ往きて勉強せずとも見物して来れば沢山なり。その上に御馳走を食ふて肥えて戻ればそれに上こす土産はなかるべし。余り齷齪《あくせく》と勉強して上手になり過ぎ給ふな。[#地から2字上げ](六月二十九日)
羯翁《かつおう》の催しにて我枕辺に集まる人々、正客《しょうきゃく》不折を初として鳴雪《めいせつ》、湖村《こそん》、虚子《きょし》、豹軒《ひょうけん》、及び滝氏ら、蔵六も折から来合《きあわ》されたり。草庵ために光を生ず。
虚子後に残りて謡曲「舟弁
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