下げ終わり]
[#地から2字上げ](五月二十四日)

 余は『春夏秋冬』を編《あ》むに当り四季の題を四季に分《わか》つに困難せり。そは陽暦を用ゐる地方(または家)と陰暦を用ゐる地方(または家)と両様ありてそれがために季の相異を来す事多ければなり。たとへば
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 陽暦を用ゐれば       陰暦を用ゐれば
春┌灌仏《かんぶつ》          春┌新年
 └端午《たんご》           └やぶ入
夏┌七夕          夏┌灌仏
 └盂蘭盆会《うらぼんえ》         └端午
秋┌十夜《じゅうや》、御命講《おめいこう》      秋┌七夕
 └芭蕉忌《ばしょうき》          └盂蘭盆会
冬┌新年          冬┌十夜、御命講
 └やぶ入          └芭蕉忌
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の如きものにして東京は全く新暦を用ゐ居れど地方にては全く旧暦に従ひ居るもあり、または半ば新暦を用ゐ半ば旧暦を用ゐ居るもあり。この際に当りて東京に従はんか地方に従はんかは新旧暦いづれが全国の大部分を占め居るかを研究しての後ならざるべからず。余はこの事につきていまだ研究する所あらざれども恐らくは「新年」の行事ばかりは新暦を用ゐる者全国中その過半に居るべしと信じこれを冬の部に附けたり。その他は旧|歳時記《さいじき》の定むる所に従へり。但こは類別上の便宜をいふ者なれば実地の作句はその時の情況によりて作るべく、四季の名目などにかかはるべきに非ず。[#地から2字上げ](五月二十五日)

『近古名流|手蹟《しゅせき》』を見ると昔の人は皆むつかしい手紙を書いたもので今の人には甚だ読みにくいが、これは時代の変遷で自《おのずか》らかうなつたのであらう。今の人の手紙でも二、三百年後に『近古名流手蹟』となつて出た時にはその時の人はむつかしがつて得読まぬかも知れぬ。それからもう一時代後の事を想像して明治百年頃の名家の手紙が『近古名流手蹟』となつて出たらどんな者であらうか。その手紙といふ者は恐らくは片仮名平仮名|羅馬《ローマ》字などのごたごたと混雑した者でとても今日の我々には読めぬやうな書きやうであらうと思はれる。[#地から2字上げ](五月二十六日)

 羽後《うご》能代《のしろ》の方公《ほうこう》手紙をよこしてその中にいふ、
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御著『俳諧大要』に言水《ごんすい》の
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姨《うば》捨てん湯婆《たんぽ》に燗《かん》せ星月夜
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の句につきて「湯婆に燗せとは果して何のためにするにや」云々と有之《これあり》候、その湯婆につき思ひ当れるは、当地方にて銚子《ちょうし》の事をタンポと申候事にてお銚子持つて来いをタンポ持つて来いと申候、これにて思ふに言水の句も銚子の事をいへるにて作者の地方かまたは信州地方の方言を用ゐたるには非《あらざ》るかと存《ぞんじ》候云々
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 この解正しからん。[#地から2字上げ](五月二十七日)

 今は東京の小学校で子供を教へて居る人の話に、東京の子供は田舎の子供に比べると見聞の広い事は非常な者であるが何事をさせても田舎の子よりは鈍で不器用である、たとへば半紙で帳面を綴《と》ぢさせて見るに高等科の生徒でありながら殆ど満足に綴ぢ得る者はない。これには種々な原因もあらうが総ての事が発達して居る東京の事であるから百事それぞれの機関が備つて居て、田舎のやうに一人で何も彼もやるといふやうな仕組でないのもその一原因であらう、これは子供の事ではないが余は東京に来て東京の女が魚の料理を為し得ざるを見て驚いた、けれども東京では魚屋が魚の料理をする事になつて居るからそれで済んで行く、済んで行くから料理法は知らぬのである、云々との話であつた。道理のある話でよほど面白い。自分も田舎に住んだ年よりは東京に住んだ年の方が多くなつたので大分東京じみて来て田舎の事を忘れたが、なるほど考へて見ると田舎には何でも一家の内でやるから雅趣のあることが多い。洗濯は勿論、著物《きもの》も縫ふ、機《はた》も織る、糸も引く、明日は氏神《うじがみ》のお祭ぢやといふので女が出刃庖刀を荒砥《あらと》にかけて聊《いささ》か買ふてある鯛《たい》の鱗《うろこ》を引いたり腹綿《はらわた》をつかみ出したりする様は思ひ出して見るほど面白い。しかし田舎も段々東京化するから仕方がない。[#地から2字上げ](五月二十八日)

 その先生のまたいふには、田舎の子供は男女に限らず唱歌とか体操とかいふ課をいやがるくせがあるに東京の子供は唱歌体操などを好む傾きがある、といふ事であつた。これらも実に善く都鄙《とひ》の特色をあらはして居る。東京の子は活溌でおてんばで陽気な事を好み田舎の子は陰気でおとなしくて
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