《と》ふ日や初松魚」などいふ句の味を知る者に非ず、大概は著物《きもの》を質に置くとか手料理で一杯やるとかいふやうなきまり文句を並べて出すなり、さういふ句に飽きたる我らは最早手料理といふ語を聞いたばかりにて月並臭気を感ずるやうになれり。しかし手料理といふ語あればいつでも月並調なりといふにはあらず。
 附けていふ。手料理といふ語は非常なる月並臭気を感ずれども料理屋といふ語には臭気なし。こは月並派にて手料理の語を多く用ゐれども料理屋といふ語を用ゐぬ故なり。かかる事は実際について知るべく、理を以て推すべからず。[#地から2字上げ](五月八日)

 今になりて思ひ得たる事あり、これまで余が横臥《おうが》せるにかかはらず割合に多くの食物を消化し得たるは咀嚼《そしゃく》の力|与《あずか》つて多きに居りし事を。噛みたるが上にも噛み、和らげたるが上にも和らげ、粥《かゆ》の米さへ噛み得らるるだけは噛みしが如き、あながち偶然の癖にはあらざりき。かく噛み噛みたるためにや咀嚼に最《もっとも》必要なる第一の臼歯《きゅうし》左右共にやうやうに傷《そこな》はれてこの頃は痛み強く少しにても上下の歯をあはす事出来難くなりぬ。かくなりては極めて柔かなるものも噛まずに呑み込まざるべからず。噛まずに呑み込めば美味を感ぜざるのみならず、腸胃|直《ただち》に痛みて痙攣《けいれん》を起す。是《ここ》において衛生上の営養と快心的の娯楽と一時に奪ひ去られ、衰弱とみに加はり昼夜|悶々《もんもん》、忽《たちま》ち例の問題は起る「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」
[#ここから2字下げ]
さへづるやから臼《うす》なす、奥の歯は虫ばみけらし、はたつ物魚をもくはえず、木の実をば噛みても痛む、武蔵野の甘菜《あまな》辛菜《からな》を、粥汁にまぜても煮ねば、いや日けに我つく息の、ほそり行くかも
下総《しもうさ》の結城《ゆうき》の里ゆ送り来し春の鶉《うずら》をくはん歯もがも
菅《すが》の根の永き一日《ひとひ》を飯《いい》もくはず知る人も来ずくらしかねつも
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](五月九日)

 ある人いふ、『宝船』第二号に
[#ここから5字下げ]
やはらかに風が引手《ひくて》の柳かな     鬼史《きし》
銭金《ぜにかね》を湯水につかふ桜かな      月兎《げっと》
[#ここで字下げ終わり]
の二句あり、月並調にあらずや。答、二句共に月並調に非ず、柳の句|俚語《りご》を用ゐたる故月並調らしく見ゆれど実際月並派にてはかく巧《たくみ》に、思ひきつて、得いはぬなり、桜の句も
[#ここから5字下げ]
銭金を湯水につかふ松の内
[#ここで字下げ終わり]
とでもなさば月並調となるべし、「桜かな」といふ五文字は月並派にては得《え》置かぬなり。[#地から2字上げ](五月十日)

 根岸に移りてこのかた、殊《こと》に病の牀にうち臥してこのかた、年々春の暮より夏にかけてほととぎすといふ者の声しばしば聞きたり。しかるに今年はいかにしけん、夏も立ちけるにまだおとづれず。剥製《はくせい》のほととぎすに向ひて我思ふところを述ぶ。この剥製の鳥といふは何がしの君が自《みずか》ら鷹狩に行きて鷹に取らせたるを我ためにかく製して贈られたる者ぞ。
[#ここから2字下げ]
竜岡《たつおか》に家居る人はほとゝぎす聞きつといふに我は聞かぬに
ほとゝぎす今年は聞かずけだしくも窓のガラスの隔てつるかも
逆剥《さかはぎ》に剥ぎてつくれるほとゝぎす生けるが如し一声もがも
うつ抜きに抜きてつくれるほとゝぎす見ればいつくし声は鳴かねど
ほとゝぎすつくれる鳥は目に飽けどまことの声は耳に飽かぬかも
置物とつくれる鳥は此里に昔鳴きけんほとゝぎすかも
ほとゝぎす声も聞かぬは来馴れたる上野の松につかずなりけん
我病みていの寝らえぬにほとゝぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
ガラス戸におし照る月の清き夜は待たずしもあらず山ほとゝぎす
ほとゝぎす鳴くべき月はいたつきのまさるともへば苦しかりけり
[#ここで字下げ終わり]
 歌は得るに従ひて書く、順序なし。[#地から2字上げ](五月十一日)

 試に我枕もとに若干の毒薬を置け。而して余が之を飲むか飲まぬかを見よ。[#地から2字上げ](五月十一日記)

 五月十日、昨夜睡眠不定、例の如し。朝五時家人を呼び起して雨戸を明けしむ。大雨。病室寒暖計六十二度、昨日は朝来《ちょうらい》引き続きて来客あり夜寝時に至りしため墨汁一滴を認《したた》むる能はず、因つて今朝つくらんと思ひしも疲れて出来ず。新聞も多くは読まず。やがて僅《わず》かに睡気を催す。けだし昨夜は背の痛強く、終宵《しゅうしょう》体温の下りきらざりしやうなりしが今朝|醒《さ》めきりしにやあらん。熱さむれば痛も減ずるなり。
 睡《ねむ》る。目さま
前へ 次へ
全49ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング