折角御教|被下《くだされ》候事ながら小生には難施《ほどこしがたき》事と御承知|可被下《くださるべく》候。ただ小生唯一の療養法は「うまい物を喰ふ」に有之候。この「うまい物」といふは小生多年の経験と一時の情況とに因《よ》りて定まる者にて他人の容喙《ようかい》を許さず候。珍しき者は何にてもうまけれど刺身は毎日くふてもうまく候。くだもの、菓子、茶など不消化にてもうまく候。朝飯は喰はず昼飯はうまく候。夕飯は熱が低ければうまく、熱が高くても大概《たいがい》喰ひ申候。容態|荒増《あらまし》如此《かくのごとくに》候。[#地から2字上げ](四月二十日)

 前日記したる御籤《みくじ》の文句につき或人より『三世相』の中にある「元三大師《がんざんだいし》御鬮《みくじ》鈔《しょう》」の解なりとて全文を写して送られたり。その中に佳人水上行《かじんすいじょうにゆく》を解して
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かじんすいじやうにゆくとはうつくしき女の水の上をあゆむがごとくわがなすほどのことはあやふく心もとなしとのたとへなり
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とあり。不見月波澄《げっぱすむをみず》を解して
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きりふかく月を見ざればせめてみづにうつるかげなりとも見んとすれどなみあればみづのうへの月をも見る事なしとなり
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とあり。その次に
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○病人はなはだあやふし ○悦事《よろこびごと》なし ○失物《うせもの》出がたし
○待人きたらず…………… ○生死あやふし……………
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などあり。適中したる事多し。前年神戸病院を退きて故郷に保養しつつありし際衰弱甚だしかりしがある日勇を鼓《こ》して郊外半里ばかりの石手寺《いしでじ》を見まひぬ。その時本堂の縁に腰かけて休みつつその傍に落ちありし紙片を拾ひ拡げ見たるにこの寺の御籤の札なり。凶の籤にして中に大病あり命にはさはりなし、などいへる文句あり、善く当時の事情に適中し居たり。かかる事もあるによりて卜筮《ぼくぜい》などに対する迷信も起るならん。[#地から2字上げ](四月二十一日)

 自分の俳句が月並調に落ちては居ぬかと自分で疑はるるが何としてよきものかと問ふ人あり。答へていふ、月並調に落ちんとするならば月並調に落つるがよし、月並調を恐るるといふは善く月並調を知らぬ故なり、月並調は監獄の如く恐るべきものに非ず、一度その中に這入《はい》つて善くその内部を研究し而して後に娑婆《しゃば》に出でなば再《ふたたび》陥る憂《うれい》なかるべし、月並調を知らずして徒《いたずら》に月並調を恐るるものはいつの間にか月並調に陥り居る者少からず、試みに蒼※[#虫+礼のつくり、第3水準1−91−50]《そうきゅう》梅室《ばいしつ》の句を読め。[#地から2字上げ](四月二十二日)

 何人の忘れ置きけん枕元に尾形光琳《おがたこうりん》伝と書ける一葉摺《いちようずり》の者あり。三、四十行の短文にして末に、明治三十四年四月文学博士|重野安繹《しげのやすつぐ》撰、と書けり。思ふにこの頃光琳ら四家の展覧会とかありといへばその辺の引札の類ならんか。それにしても
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ソノ画ク所|花卉《かき》※[#「令+挧のつくり」、第3水準1−90−30]毛《れいもう》山水人物|悉《ことごと》ク金銀泥《きんぎんでい》ヲ用ヒテ設色スルニ※[#「禾+農」、第4水準2−83−8]艶《じょうえん》妍媚《けんび》ナラザルハナク而モ用筆《ようひつ》簡淡《かんたん》ニシテ一種ノ神韻《しんいん》アリ
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とあるが如き余り杜撰《ずさん》なるべし。用筆簡淡の四字は光琳の画を形容し得ざるのみならずむしろ光琳風の如き画の感じを少しも含まざるなり。何はともあれ光琳の画の第一の特色は他諸家の輪郭的なるに反して没骨《もっこつ》的なる処にあり、而してこの用筆簡淡の四字が果して没骨画に対する批評と見るを得べき語なるか、何人も恐らくは爾《し》か思はざるべし。撰者もまたそんな事を考へたるにはあらで筆の先にてゴマカシたるや必せり。あるいは
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マタ茶道ヲ千宗佐《せんそうさ》ニ受ケテ漆器ノ描金《びょうきん》ニ妙ヲ得|硯箱《すずりばこ》茶器ノ製作ニ巧ミナリ
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とあるが如き少しも意を解せず。この文にて見ると光琳は茶を習ひしため蒔絵《まきえ》が上手になりたる事と聞ゆ。『論語』を習ひに往たら数学が上手になつたといふ如き類にて、狐《きつね》を馬に載せたる奇論法なり。もし二句何の関係もなき者ならば何故に続けて書けるか分らず。そのほか怪しげなる事多し。撰者夢中の作とおぼし。何にもせよ今の世に光琳の名を世にひろめんとする者、画を知らぬ漢文書きに頼みてその伝を書かしむるなど馬鹿な事な
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