るこそ贈りたる者は気安くして贈られたる者は興深けれ。今年の年玉とて鼠骨《そこつ》のもたらせしは何々ぞ。三寸の地球儀、大黒《だいこく》のはがきさし、夷子《えびす》の絵はがき、千人児童の図、八幡太郎《はちまんたろう》一代記の絵草紙《えぞうし》など。いとめづらし。此《これ》を取り彼をひろげて暫《しばら》くは見くらべ読みこころみなどするに贈りし人の趣味は自《おのずか》らこの取り合せの中にあらはれて興《きょう》尽くる事を知らず。
[#ここから5字下げ]
年玉を並《なら》べて置くや枕もと
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](一月二十八日)
一本の扇子を以て自在に人を笑はしむるを業《わざ》とせる落語家の楽屋は存外厳格にして窮屈なる者なりとか聞きぬ。芳菲山人《ほうひさんじん》の滑稽家《こっけいか》たるは人の知る所にして、狂歌に狂文に諧謔《かいぎゃく》百出《ひゃくしゅつ》尽くる所を知らず。しかもその人極めてまじめにしていつも腹立てて居るかと思はるるほどなり。我俳句仲間において俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石《そうせき》なり。漱石最もまじめの性質にて学校にありて生徒を率ゐるにも厳格を主として不規律に流るるを許さず。紫影《しえい》の文章俳句常に滑稽趣味を離れず。この人また甚《はなは》だまじめの方にて、大口をあけて笑ふ事すら余り見うけたる事なし。これを思ふに真の滑稽は真面目なる人にして始めて為《な》し能《あた》ふ者にやあるべき。古《いにしえ》の蜀山《しょくさん》一九《いっく》は果して如何《いか》なる人なりしか知らず。俳句界第一の滑稽家として世に知られたる一茶《いっさ》は必ずまじめくさりたる人にてありしなるべし。[#地から2字上げ](一月三十日)
人の希望は初め漠然として大きく後|漸《ようや》く小さく確実になるならひなり。我|病牀《びょうしょう》における希望は初めより極めて小さく、遠く歩行《ある》き得ずともよし、庭の内だに歩行き得ばといひしは四、五年前の事なり。その後一、二年を経て、歩行き得ずとも立つ事を得ば嬉《うれ》しからん、と思ひしだに余りに小さき望《のぞみ》かなと人にも言ひて笑ひしが一昨年の夏よりは、立つ事は望まず坐るばかりは病の神も許されたきものぞ、などかこつほどになりぬ。しかも希望の縮小はなほここに止まらず。坐る事はともあれせめては一時間なりとも苦痛な
前へ
次へ
全98ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング