ふにこの人|大魯《たいろ》の門弟にて蕪村の又弟子に当るにやあらん。[#地から2字上げ](三月二十三日)

 加賀|大聖寺《だいしょうじ》の雑誌『虫籠』第三巻第二号出づ。裏画「初午《はつうま》」は道三の筆なる由実にうまい者なり。ただ蕪村の句の書き様はやや位置の不調子を免れざるか。
 右雑誌の中「重箱楊枝」と題する文の中に
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俳諧に何々顔といふ語は、盛《さかん》に蕪村や太祇《たいぎ》に用ゐられた、そこで子規君も多分この二人の新造語であらうとまで言はれたが、これは少し言ひすごしである。元禄二年|板《ばん》の其角《きかく》十七条に、附句《つけく》の例として
   宿札に仮名づけしたるとはれ顔
とある、恐らくこの辺からの思ひつきであらう。
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と書けり。余はさる事をいひしや否や今は忘れたれどもし言ひたらばそは誤なり。何々顔といふ語は俳諧に始まりたるに非ずして古く『源氏物語』などにもあり、「空《そら》も見知り顔に」といへる文句を挙げて前年『ホトトギス』随問随答欄に弁じたる事あり。されば連歌《れんが》時代の発句《ほっく》にも
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又や鳴かん聞かず顔せば時鳥《ほととぎす》    宗長《そうちょう》
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などあり。なほ俳諧時代に入りても元禄より以前に
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ふぐ干や枯《かれ》なん葱《ねぎ》の恨み顔     子英
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といふあり。こは天和《てんな》三年刊行の『虚栗《みなしぐり》』に出でたる句なり。そのほか元禄にも何々顔の句少からず。
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寺に寐て誠《まこと》顔なる月見かな     芭蕉《ばしょう》
苗代《なわしろ》やうれし顔にも鳴く蛙     許六《きょりく》
蓮《はす》踏みて物知り顔の蛙かな     卜柳
雛《ひな》立て今日ぞ娘の亭主顔      硯角《けんかく》
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などその一例なり。因《ちなみ》にいふ。太祇《たいぎ》にも蕪村《ぶそん》にも几董《きとう》にも「訪はれ顔」といふ句あるは其角《きかく》の附句より思ひつきたるならん。[#地から2字上げ](三月二十四日)

 羽後《うご》能代《のしろ》の雑誌『俳星』は第二巻第一号を出せり。為山《いざん》の表紙模様は蕗《ふき》の林に牛を追ふ意匠|斬新《ざんしん》にしてしかも模様
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