堪能なる秋竹が俳句の集を選びたるは似つかはしき事にして、素人の杜撰《ずさん》なるものと同日に見るべからず。されど秋竹は始めより俳書|編纂《へんさん》の志ありしか、近来俳句に疎遠なる秋竹が何故に俄《にわか》に俳句編纂を思ひ立ちたるか。この句集が如何なる手段によつて集められしかは問ふ所に非ず。この書物を出版するにつき、秋竹が何故に苦しき序文を書きしかは余の問ふ所に非ず。もし余の邪推を明《あきらか》にいはば、秋竹は金まうけのためにこの編纂を思ひつきたるならん。秋竹もし一点の誠意を以て俳句の編纂に従事せんか、その手段の如何にかかはらずこれを賛成せん。されど余は秋竹の腐敗せざるかを疑ふなり。さはれ余は個人として秋竹を攻撃せんとには非ず。今の新著作かくの如きもの十の九に居る故に特に秋竹を仮りていふのみ。[#地から2字上げ](三月十日)

 漢字廃止、羅馬《ローマ》字採用または新字製造などの遼遠《りょうえん》なる論は知らず。余は極めて手近なる必要に応ぜんために至急|新仮字《しんかな》の製造を望む者なり。その新仮字に二種あり。一は拗音《ようおん》促音《そくおん》を一字にて現はし得るやうなる者にして例せば茶の仮字を「ちや」「チヤ」などの如く二字に書かずして一字に書くやうにするなり。「しよ」(書)「きよ」(虚)「くわ」(花)「しゆ」(朱)の如き類皆同じ。促音は普通「つ」の字を以て現はせどもこは仮字を用ゐずして他の符号を用ゐるやうにしたしと思ふ。しかし「しゆ」「ちゆ」等の拗音の韻文上一音なると違ひ促音は二音なればその符号をしてやはり一字分の面積を与ふるも可ならん。
 他の一種は外国語にある音にして我邦になき者を書きあらはし得る新字なり。
 これらの新字を作るは極めて容易の事にして殆ど考案を費さずして出来得べしと信ず。試にいはんか朱の仮字は「し」と「ユ」または「ゆ」の二字を結びつけたる如き者を少し変化して用ゐ、著の仮字は「ち」と「ヨ」または「よ」の二字を結びつけたるを少し変化して用ゐるが如くこの例を以て他の字をも作らば名は新字といへどその実旧字の変化に過ぎずして新に新字を学ぶの必要もなく極めて便利なるべしと信ず。また外国音の方は外国の原字をそのまま用ゐるかまたは多少変化してこれを用ゐ、五母音の変化を示すためには速記法の符号を用ゐるかまたは拗音の場合に言ひし如く仮字《かな》をくつつけても可な
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