ればおぼつかなくも筆を取りて
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瓶《かめ》にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり
藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも
藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ
藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり
瓶にさす藤の花ぶさ花|垂《た》れて病の牀に春暮れんとす
去年《こぞ》の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも
くれなゐの牡丹《ぼたん》の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり
この藤は早く咲きたり亀井戸《かめいど》の藤咲かまくは十日まり後
八入折《やしおおり》の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く
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 おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃|稀《まれ》なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。[#地から2字上げ](四月二十八日)

 春雨|霏々《ひひ》。病牀|徒然《とぜん》。天井を見れば風車《かざぐるま》五色に輝き、枕辺を見れば瓶中《へいちゅう》の藤紫にして一尺垂れたり。ガラス戸の外を見れば満庭の新緑雨に濡れて、山吹は黄|漸《ようや》く少く、牡丹は薄紅《うすくれない》の一輪先づ開きたり。やがて絵の具箱を出させて、五色、紫、緑、黄、薄紅、さていづれの色をかくべき。[#地から2字上げ](四月二十九日)

 病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍《かたわら》、竹垣の内に一むらの山吹あり。この山吹もとは隣なる女《め》の童《わらわ》の四、五年前に一寸ばかりの苗を持ち来て戯れに植ゑ置きしものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめてうたた歌心起りければ原稿紙を手に持ちて
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裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
小縄もてたばねあげられ諸枝《もろえだ》の垂れがてにする山吹の花
水汲みに往来《ゆきき》の袖《そで》の打ち触れて散りはじめたる山吹の花
まをとめの猶《なお》わらはにて植ゑしよりいく年《とせ》経たる山吹の花
歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花
我|庵《いお》をめぐらす垣根|隈《くま》もおちず咲かせ見まくの山吹の花
あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花
春の日の雨しき降れば
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