ある、と自ら戲れいへる歌なり。
戀に骨折る程度ともいふべき事を「こひぢから」といふ一語につゞめたる作者のはたらき畏るべき者あり。此の活用あるため萬葉は常に調子高き事を得たるに反し、古今以後にては詞は總て古きによるの主義にて全く造語を禁じたるため皆腰拔の歌となりたり。時として近時の俗謠に調子善き者あるは詞に束縛せられずして却つて詞を活用するに因る。自ら萬葉の旨を得たるものなり。
長歌はこゝに論ぜざる者なれど餘り珍しければ前に言ひたる蟹の述懷の歌一首を擧ぐべし。
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おしてるや難波のを江に、庵つくりなまりて居る、蘆蟹を大君召すと、何せむにわを召すらめや、あきらけくわが知る事を、歌人とわを召すらめや、笛ふきとわを召すらめや、琴ひきとわを召すらめや、かもかくもみこと受けむと、今日今日と飛鳥に到り、立ちたれどおきなに到り、つかねどもつくぬに到り、ひむがしの中の御門ゆ、參り來てみこと受くれば、馬にこそふもだしかくもの、牛にこそ鼻繩はくれ、足引の此片山の、もむ楡を五百枝剥き垂れ、天照るや日のけに干し、さひづるやから臼につき、庭に立つから臼につき、おしてるや難波の小江の、はつ垂れを辛く垂れ來て、すゑ人の造れる瓶を、今日行きて明日取り持ち來、わが目らに鹽ぬりたべと、申しはやさも、申しはやさも
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これは初より終迄蟹の詞にて、大君が蟹を鹽漬にして楡《にれ》の皮に交ぜて喰ふ、といふ事をのべて斯くいへるなり。此大意を俗語にて言はゞ「難波の海に我(蟹自らいふ)が穴を造りて住んで居ると、君よりお召しがある、何事に召さるゝであ〈ら〉うか、我を歌人と思ふて召さるゝでもあるまい、笛吹や琴ひきと思ふて召さるゝでもあるまい、とにかくに仰承らんと飛鳥の宮に行きて承れば楡の皮を乾して臼について、難波の鹽の垂れ初の辛い處を取つて來て、瓶を明日持つて來て、我が目へ鹽を塗つて喰ふて下され喰ふて下され」とでもいふやうな事なるべし。言葉つゞきの理窟に合はぬ處あるは却て面白し。
此等の歌は皆趣向の珍しきのみならず、其趣向が文學的の趣味を帶び居るがためにいづれも善き歌として余は賞翫するなり。此一卷は萬葉の光彩を添ふると共に和歌界の光彩を添ふる者として余は特に之を抽《ぬ》き出だしゝなり。然るに所謂歌よみ等の之を擯斥《ひんせき》するは其趣向の滑稽なりとの理由による者にやあらん
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