。何故に滑稽は擯斥すべきか。
 滑稽は文學的趣味の一なり。然るに我邦の人、歌よみたると繪師たると漢詩家たるとに論なく一般に滑稽を排斥し、萬葉の滑稽も俳句の滑稽も狂歌狂句の滑稽も苟《いやしく》も滑稽とだにいへば一網に打盡して美術文學の範圍外に投げ出さんとする、是れ滑稽的美の趣味を解せざるの致す所なり。狂歌狂句の滑稽も文學的なる者なきに非ず、然れども狂句は理窟(謎)に傾き狂歌は佗[#「佗」に「ママ」の注記]洒落に走る。(古今集の誹諧歌も佗洒落なり)これを以て萬葉及び俳句の如く趣味を備へたる滑稽に比するは味噌と糞を混同する者なり。鯛の味を知つて味噌の味を知らざる者は共に食味を語るに足らず。眞面目の趣を解して滑稽の趣を解せざる者は共に文學を語るに足らず。否。味噌の味を知らざれば鯛の味を知る能はず、滑稽の趣を解せざれば眞面目の趣を解する能はず。實にや彼歌人は趣味ある滑稽を斥けて却て下等なる佗洒落的滑稽を取る事其例少からず。こは味噌と糞とを混同するにあらず味噌の代りに糞を喰ふ者なり。
 且つ萬葉卷十六の特色の滑稽に限らざるは前にいへるが如し。複雜なる趣向、言語の活用、材料の豐富、漢語俗語の使用、いづれも皆今日の歌界の弊害を救ふに必要なる條件ならざるはあらず。歌を作る者は萬葉を見ざるべからず。萬葉を讀む者は第十六卷を讀むことを忘るべからず。[#地から2字上げ]〔日本 明治32[#「32」は縦中横]・3・1 三〕



底本:「子規全集 第七卷 歌論 選歌」講談社
   1975(昭和50)年7月18日第1刷発行
※底本では編者によって補われた文字が〈 〉で示されています。本ファイルの作成に当たっては、底本が用いた〈 〉をそのまま使用しました。
入力:土屋隆
校正:川向直樹
2005年5月25日作成
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