の語に此語法を應用するの機轉すらなし。支那の古詩に行々重行々といへるも同じき語法にして、蕪村は「行き/\てこゝに行き行く夏野かな」と使へり。古今集以後の歌人の氣が利かぬこと今更にあらねど呆れたる次第なり。
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   天皇遊[#二]獵内野[#一]之時中皇命使[#二]間人連老《ハシビトノムラジオユ》[#ルビの「ハシビトノムラジオユ」に〈原〉の注記]獻[#一]歌
やすみしゝ我大君の、あしたには取り撫でたまひ、夕にはいよせ立てゝし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり、朝狩に今立たすらし、夕狩に今立たすらし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり
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 中皇命は舒明天皇の皇女なり。なか筈につきて、長筈長[#「長」に「ママ」の注記]筈等の諸説あり。
「すなり」は「するなり」の略なり。若し文法學者がいふ如く嚴格なる規則を立てゝ一々之によりて律する事とせば此語も亦文法違犯たるを免れず。然れども文法に拘々《こうこう》たる後世の歌人皆此文法違犯を襲用して却て平常の事とするはさすがに此便利なる語を棄つるに忍びざるなるべし。由來韻文を律するに嚴格なる文法を以てするは理
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