の語に此語法を應用するの機轉すらなし。支那の古詩に行々重行々といへるも同じき語法にして、蕪村は「行き/\てこゝに行き行く夏野かな」と使へり。古今集以後の歌人の氣が利かぬこと今更にあらねど呆れたる次第なり。
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天皇遊[#二]獵内野[#一]之時中皇命使[#二]間人連老《ハシビトノムラジオユ》[#ルビの「ハシビトノムラジオユ」に〈原〉の注記]獻[#一]歌
やすみしゝ我大君の、あしたには取り撫でたまひ、夕にはいよせ立てゝし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり、朝狩に今立たすらし、夕狩に今立たすらし、みとらしの梓の弓の、なか筈の音すなり
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中皇命は舒明天皇の皇女なり。なか筈につきて、長筈長[#「長」に「ママ」の注記]筈等の諸説あり。
「すなり」は「するなり」の略なり。若し文法學者がいふ如く嚴格なる規則を立てゝ一々之によりて律する事とせば此語も亦文法違犯たるを免れず。然れども文法に拘々《こうこう》たる後世の歌人皆此文法違犯を襲用して却て平常の事とするはさすがに此便利なる語を棄つるに忍びざるなるべし。由來韻文を律するに嚴格なる文法を以てするは理窟を以て感情を制する弊あり。歌は感情を現す者なれば感情の激發したる際には自ら文法を破る事もあるべく、文法を破りたりとて意味だに通ずればさまで咎むべきにあらず。又其言葉を面白くするためにことさらに文法を破ることもあるべく、そは寧ろ作者の手柄として見るべき者少からず。然るに日本の文法學者は文法を以て韻文を律するのみならず、文法の例には歌を引くを常とす。簡單なる歌を以て文法の例となすを得ば文法上には便利なる事ならん。但文法の例に引かるゝやうな歌をつくりて滿足し居る歌人の鼻毛こそ海士が引く千尋※[#「木+(「孝」の「子」に代えて「丁」)」、第4水準2−14−59]繩《ちひろたくなは》よりも長かめれと氣の毒に思はるゝなり。ある人自己の歌集を世に公にするとて其はじめに、多く作れる中より語格の誤少からんを選みて云々と書けるよし、此等の人は何のために歌をつくり居るにや、文法學者に頼まれて文法の例歌をつくり居るにや。
蕪村は「すなり」に倣ひて「すかな」と使ひしに文法學者は「すなり」を許しながら「すかな」を咎むるなり。しかも近時の俳人は眼中に文法などあらばこそ「すかな」は常に用ゐられて今は怪む者も無き迄
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