なり。其人のいふ所を聞けば調古くして今の耳にかなはずといふにあり。我等は調の古きところが大に耳にかなふやうに覺ゆれどそれも人々の感情なればせん方も無き事なり。萬葉を善しといふ人すら猶五七調の歌を善しとして此歌の如きを排するは如何にぞや。尋常俗人の心にては見馴れ聞き馴れたる者を面白く思ひ、見馴れざる聞き馴れざる者を不調和に感ずるなり。極端にいへば俗人は陳腐を好みて新奇を排するの傾向あり。故に古今調の歌に馴れたる耳には萬葉調を不調和に思ひ、輪廓畫に馴れたる目には沒骨畫を不調和に思ふが如き類少からず。然れども多少專門的に事物を研究する人は陳腐を取りて新奇を捨つるの愚を學ぶべきにあらず。新奇なる者に就きて虚心平氣に其調和せりや否やを考へて後に取捨すべきなり。歌を研究する者にして萬葉集を知らざるが如き不心得の者は姑《しばら》く置く。苟も萬葉を研究せんとする人にして一概に五七をのみ歌の調と思ひ三言四言六言等の趣味も變化も知らず、或は歌はいかめしく眞面目なる事をのみ詠むものと思ひて滑稽(萬葉第十六の如き)の歌を知らざるが如きは量見の狹き事なり。若し我をして臆測せしめば諸氏は短歌のみを作りて長歌を作るに習はざるために此趣味を解せざるにはあらざるか。今日の歌界に於ける諸氏は愚蒙の群中に一頭地を拔きたるために先鞭者の名をこそ負へれ他日歌界一般に進歩したる時、空しく人後に落ちて陳腐好きの俗輩と伍せられざらん事を祈るなり。[#地から2字上げ]〔日本附録週報 明治33[#「33」は縦中横]・5・14[#「14」は縦中横] 一〕

      (二)

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   天皇登香具山望國之時御製歌
やまとにはむら山あれど、とりよろふ天の香具山、のぼりたち國見をすれば、國原は煙立ち立つ、海原はかまめ立ち立つ、うまし國ぞあきつ島やまとの國は
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 舒明天皇御製なり。とりよろふは足りとゝのへる意、かまめは鴎なり。海原は埴安《はにやす》の池をいへりとぞ。
 簡明にして蒼老、大なるたくみなくて却て趣盡きぬ妙あり。「のぼりたち」より「國見をすれば」につゞく處平凡なる如くなれども實際作歌の場合にはこれだけの連續が出來ずして冗長に失することあるものなり。「立ち立つ」と二つ重ねて物の多き有樣を現すなど極めて巧なる語なるを、後世の人時に此語を襲用して其儘に「立ち立つ」と使ふも、他
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