なれども、何故読書といふ方法を取れりやといふにそは習慣によるものにして、幼時より無理に書を読ませられいやながら学校へも行き、又傍ら外祖父などの為に薫陶せられゐたるが為なるべし。只今でも何人か自分に鉅万の財産を与ふるものあらば自分は最早読書といふ一方に傾かざるべし。
前に一寸多情といふことをいひたるが、冒頭に即ち総論に説き落したれば少し前にかへりてのぶべし。初めにもいふ通り各人の慾の分量は大方相同じけれども、どうも多少は其分量を異にするが如し。其多き者を多情の人といひ、少き者を白痴の人といふ。白痴の人ならば多少其情慾を制限すればとてもと/\其分量が少ければ余り感ぜざれども、多情の人に在ては傍よりは何も気がつかぬことでも其人の気にさはりて欝憂病を起すことあり。俗に之を感じが強いとか、神経が鋭敏に過ぎるとかいふ。自分が慾とか慾心とかいふは皆此感じのことにて、俗の又俗なる語を用ゐしなり。世に狂気となる人多くは皆平生おとなしき人にて且つ考へのある人なり。俗人は右等の人の狂ひ出すを見て「あの人がマア」といふて驚く者あれども驚く方が間違ひにて、此の如き人は感情の多きくせに之を漏すべき即ち実行すべき
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