して感情の理論と損得の理論と両立せざることを知らざるものなり。自分の多情なる、徒然に一年の長日月を経過するは一刻千金に折算して八百余万円を浪費するよりも惜しく思はるゝなり。理に於て為すべき事も情に於て為し肯ぜざること数々なるは改めていふ迄のこともなかるべし。自分は一字も多く読みたきは一生の願なれども、其願は一刻も早く成就せんことを冀ふものなり。近欲《チカヨク》は遠大の利にあらざるは万々承知なれども、其近欲に迷ふて一年も早く書を読みたきは感情の然らしむる所、自分ながら又已むを得ざるなり。斯く言はゞ或はそは汝が我儘なり、得手勝手といはれんかも知らざれども、其我儘も中々に得手勝手ならざる所以を以前の議論にあてはめて論ぜんとす。
 今自分をして一年廃学せしめんか、自分の慾の中の一大部分なる読書慾を全く減却し去る者なれば、其代りに来るべき六十乃至七十斤の慾は何なるべきや。人は自分に種々の仕事を教ふれども、我感情の承知せざるを如何せん。我呂尚にあらず、又天下第一の愚者にもあらず、釣を垂るゝ終日空しく痴魚の欺かるゝを待つを欲せんや。我性朽木の如く彫すべからずと雖も、宰我の如く昼寝ぬる得んや。或はたゞ山野に※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]せよ、林間に遊猟せよと勧めらるゝ人々も多かれども、そはたま/\には心慰む方もあらん。毎日々々かくては送られず。固より天性発明なる人(genius アル人)即ち天稟の聖人ならば山野に遊び江湖に泛びて高尚深遠の哲学を発明する所多かるべけれど、頑愚痴迂なる一寒性、いかんぞ古人の遺書によらずして秋毫の屁理窟だもひねくり出すことを得んや。若し強ひて自分をして廃学なさしめば其結果如何は前論に照して明なるべし。狂たらんか、痴たらんか、将た恨を呑んで鬼たらんか。噫槿花は黄昏を知らず、※[#「虫+惠」、第4水準2−87−87]蛄は春秋を知らず。五尺の人間無限の天地に生れて生命の長短を論ず、強者弱者を侮り寿者夭者を笑ふ、豈蟷螂の蟋蟀を侮り寒氷の泡沫を笑ふに異ならんや。
 客問ふて曰く、然らば君をして廃学せしむる方これなきか。曰く、有り。只々行ひ難きのみ。何ぞや。曰く、我に鉅万の財を与へて思ふ存分に消費せしむるのみ。客瞠若たり。我曰く、誰か我に鉅万の財を与ふる者ぞ。天を仰いで呵々として大笑す。
 客又曰く、君何ぞ得手勝手なるや。君の一身は是君の所有にして君の所有にあらず。君は君の家を思はざるか。余黙然。君は君の先人の名を揚ぐるを喜ばざるか。余黙々。是等は西洋流に従ふて姑く顧みずとせん。君猶慈母の堂にあるあり。頼む所は只々君のみ。愛する所は只々君のみ。君一身を捨てゝ将に慈母を如何せんとするや。答へて曰く、請ふ言ふをやめよ。我平生務めて俗縁を絶了せんとす。君今却て已絶の絃を続がんとす。我心腸為に寸断せんとす。請ふ我をして狂たらしむるなかれ。嗚咽之を久しうす。

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明治二十二年八月十五日褥中筆を執りて記す
  こゝに消えかしこにできて物質のへりもせずまた加はりもせず
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底本:「日本の名随筆36 読」作品社
   1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」改造社
   1930(昭和5)年11月初版発行
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月12日作成
2005年1月28日修正
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