解せざるがために彼はついに歌人たるを得ずして終れり。
 これを要するに曙覧の歌は『万葉』に実朝に及ばざること遠しといえども、貫之《つらゆき》以下今日に至る幾百の歌人を圧倒し尽せり。新言語を用い新趣向を求めたる彼の卓見は歌学史上特筆して後に伝えざるべからず。彼は歌人として実朝以後ただ一人《いちにん》なり。真淵、景樹、諸平、文雄輩に比すれば彼は鶏群の孤鶴《こかく》なり。歌人として彼を賞賛するに千言万語を費すとも過賛にはあらざるべし。しかれども彼の和歌をもってこれを俳句に比せんか。彼はほとんど作家と称せらるるだけの価値をも有せざるべし。彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよりも遥《はる》かに多き新言語を用いたり。彼の歌想は他の歌想に比して進歩したるところありとこそいうべけれ、これを俳句の進歩に比すれば未《いま》だその門墻《もんしょう》をも覗《うかが》い得ざるところにあり。俳人の極めて幼稚なるものといえども、趣味の多様なることは曙覧の歌のわずかに新奇ならんとせしがごときに非ず。曙覧をして俳人ならしめば、ほとんどその名だに伝うるあたわざりしなるべし。いわんや彼は
前へ 次へ
全36ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング