かる人を送りては、「聞くだに嬉《うれ》し」と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢《あ》ふな」と詠めり。楽《たのし》みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥|啼《な》けば「鳥啼く」と詠み、螽《いなご》飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのごとくなれど曙覧以外の歌人には全くなきことなり。面白からぬに「面白し」と詠み、香もなきに「香に匂《にお》ふ」と詠み、恋しくもなきに「恋にあこがれ」と詠み、●
見もせぬに遠き名所を詠み、しこうして自然の美のおのが鼻の尖《さき》にぶらさがりたるをも知らぬ貫之《つらゆき》以下の歌よみが、何百年の間、数限りもなくはびこりたる中に、突然として曙覧の出でたるはむしろ不思議の感なきに非ず。彼は何に縁《よ》りてここに悟るところありしか。彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫《とほ》が自己の経歴を詳《つまびらか》に詩に作りたると相《あい》似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚《なら》わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟《じせき》と性行とを知り得たるもその歌史たるがためなり。
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