ち》、景樹《かげき》の※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]臼《かきゅう》に陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事《さじ》俗事を捕え来《きた》りて縦横に馳駆《ちく》するところ、かえって高雅|蒼老《そうろう》些《さ》の俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆《きょうおく》を※[#「てへん+慮」、第4水準2−13−58]《し》くもの、もって識見|高邁《こうまい》、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。
 曙覧の事蹟及び性行に関しては未《いま》だこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳《まつだいらしゅんがく》挙げて和歌の師とす、推奨|最《もっとも》つとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋《ろうおく》の中に住んで世と容《い》れず。古書《こしょ》堆裏《たいり》独《ひとり》破几《はき》に凭《よ》りて古《いにしえ》を稽《かんが》え道を楽《たのし》む。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中
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