傍点]、机に[#「机に」に傍点]千文《ちふみ》八百《やお》ふみうづたかくのせて[#「ふみうづたかくのせて」に傍点]人丸《ひとまろ》の御像《みぞう》などもあやしき厨子《ずし》に入りてあり、おのれきものぬぎかへて[#「おのれきものぬぎかへて」に傍点]賤《しず》が[#「が」に傍点]著《き》るつづりおりに似たる衣をきかへたり[#「るつづりおりに似たる衣をきかへたり」に傍点]、此《この》時扇|一握《いちあく》を半井保《なからいたもつ》にたまひて曙覧にたびてよと仰せたり、おのれいへらく、みましの屋の名をわらやといへるはふさはしからず、橘のえにしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋のきたなきことたとへむにものなし[#「屋のきたなきことたとへむにものなし」に白丸傍点]、しらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり[#「しらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり」に白丸傍点]、●
かたちはかく貧《まずし》くみゆれど其《その》心のみやびこそいといとしたはしけれ、おのれは富貴の身にして大厦《たいか》高堂に居て何ひとつたらざることなけれど、むねに万巻のたくはへなく心は寒く貧くして曙覧におとる事更に言をまたねば、おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ[#「おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ」に白丸傍点]、今より曙覧の歌のみならで其《その》心のみやびをもしたひ学《まなば》ばや、さらば常の心の汚《よごれ》たるを洗ひ浮世の外《ほか》の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上|大蔵大輔《おおくらたゆう》源|朝臣《あそん》慶永《よしなが》元治二年|衣更著《きさらぎ》末のむゆか、館に帰りてしるす
[#ここで字下げ終わり]
曙覧が清貧に処して独り安んずるの様、はた春岳が高貴の身をもってよく士に下るの様はこの文を見てよく知るを得ん。この知己あり。曙覧地下に瞑《めい》すべきなり。
[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月二十二日〕
曙覧が清貧の境涯はほぼこの文に見えたるも、彼の衣食住の有様、すなわち生活の程度いかんはその歌によって一層|詳《つまびらか》に知ることを得《う》べし。その歌左に
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人にかさかしたりけるに久しうかへさざりければ、わらはしてとりにやりけるにもたせやりたる
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山吹のみの一つだに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり
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その貧乏さ加減、我らにも覚えのあることなり。
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ひた土に筵《むしろ》しきて、つねに机すゑおくちひさき伏屋《ふせや》のうちに、竹|生《お》いでて長うのびたりけるをそのままにしおきて
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壁くぐる竹に肩する窓のうちみじろくたびにかれもえだ振る
膝いるるばかりもあらぬ草屋を竹にとられて身をすぼめをり
[#ここで字下げ終わり]
明治に生れたる我らはかくまで貧しくなられ得べくもあらず。(「草屋」を「草の屋」と読ませ「草花」を「草の花」と読まする例、集中に少からず。漢語にはあらず)
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銭乏しかりける時
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米の泉なほたらずけり歌をよみ文をつくりて売りありけども
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彼が米代を儲《もう》け出す方法はこの歌によりてやや推すべし。(「泉」は「ぜに」と読むべし)
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ある日、多田氏の平生窟より人おこせ、おのが庵《いお》の壁の頽《くず》れかかれるをつくろはす来つる男のこまめやかなる者にて、このわたりはさておけよかめりとおのがいふところどころをもゆるしなう、机もなにもうばひとりてこなたかなたへうつしやる、おのれは盗人の入《いり》たらん夜のここちしてうろたへつつ、かたへなるところに身をちひさくなしてこのをの子のありさま見をる、我ながらをかしさねんじあへて
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あるじをもここにかしこに追たてて壁ぬるをのこ屋中塗りめぐる
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家の狭さと、あるじの無頓着《むとんちゃく》さとはこの言葉書《ことばがき》の中にあらわれて、その人その光景目前に見るがごとし。
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おのがすみかあまたたび所うつりかへけれど、いづこもいづこも家に井なきところのみ、妻して水|汲《く》みはこばする事もかきかぞふれば二十年あまりの年をぞへにきける、あはれ今はめもやうやう老《おい》にたれば、いつまでかかくてあらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるにいときよき水あふれ出《い》づ、さくもてくみとらるべきばかりおほうあるぞいとうれしき、いつばかりなりけむ□「しほならであさなゆふなに汲む水もからき世なりとぬらす袖《そで》かな」と、そぞろごといひけることのありしか、今は
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