ても其れに對する吾人の觀念と古人のと相違する事珍しからざる事にて」云々それは勿論の事なれどそんな事は生の論ずることゝ毫も關係無之候。今は古人の心を忖度《そんたく》するの必要無之、只此處にては古今東西に通ずる文學の標準(自ら斯く信じ居る標準なり)を以て文學を論評する者に有之候。昔は風帆船が早かつた時代もありしかど蒸氣船を知りて居る眼より見れば風帆船は遲しと申すが至當の理に有之貫之は貫之時代の歌の上手とするも前後の歌よみを比較して貫之より上手の者外に澤山有之と思はゞ貫之を下手と評すること亦至當に候。歴史的に貫之を褒めるならば生も強ち反對にては無之候へども只今の論は歴史的に其人物を評するにあらず、文學的に其歌を評するが目的に有之候。
「日本文學の城壁とも謂ふべき國歌」云々とは何事ぞ。代々の勅撰集の如き者が日本文學の城壁ならば實に頼み少き城壁にて此の如き薄ッぺらな城壁は大砲一發にて滅茶滅茶に碎け可申候。生は國歌を破壞し盡すの考にては無之日本文學の城壁を今少し堅固に致し度外國の髯づらどもが大砲を發《はな》たうが地雷火を仕掛けうがびくとも致さぬ程の城壁に致し度心願有之、しかも生を助けて此心願を成就せしめんとする大檀那は天下一人も無く數年來鬱積沈滯せる者|頃日《けいじつ》漸く出口を得たる事とて前後錯雜序次倫無く大言疾呼我ながら狂せるかと存候程の次第に御座候。傍人より見なば定めて狂人の言とさげすまるゝ事と存候。猶此度新聞の餘白を借り傳へたるを機とし思ふ樣愚考も述べたく、それ丈にては愚意分りかね候に付愚作をも連ねて御評願ひ度存居候へども或は先輩諸氏の怒に觸れて差止めらるゝやうな事は無きかとそれのみ心配罷在候。心配、恐懼、喜悦、感慨、希望等に惱まされて從來の病體益※[#二の字点、1−2−22]神經の過敏を致し日來《ひごろ》睡眠に不足を生じ候次第愚とも狂とも御笑ひ可被下候。
從來の和歌を以て日本文學の基礎とし城壁と爲さんとするは弓矢|劍槍《けんさう》を以て戰はんとすると同じ事にて明治時代に行はるべき事にては無之候。今日軍艦を購《あがな》ひ大砲を購ひ巨額の金を外國に出すも畢竟日本國を固むるに外ならず、されば僅少の金額にて購ひ得べき外國の文學思想抔は續々輸入して日本文學の城壁を固めたく存候。生は和歌に就きても舊思想を破壞して新思想を注文するの考にて隨つて用語は雅語俗語漢語洋語必要次第用うる積りに候。委細後便。
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追て伊勢の神風、宇佐の神勅云々の語あれども文學には合理非合理を論ずべき者にては無之、從つて非合理は文學に非ずと申したる事無之候。非合理の事にて文學的には面白き事不少候。生の寫實と申すは合理非合理事實非事實の謂にては無之候。油畫師は必ず寫生に依り候へどもそれで神や妖怪やあられもなき事を面白く書き申候。併し神や妖怪を畫くにも勿論寫生に依るものにて、只有の儘を寫生すると一部々々の寫生を集めるとの相違に有之、生の寫實も同樣の事に候。是等は大誤解に候。
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[#地から2字上げ]〔日本 明治31[#「31」は縦中横]・2・24[#「24」は縦中横]〕
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七たび歌よみに與ふる書
前便に言ひ殘し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば直ちに俗氣を聯想するが如く和歌といへば直ちに陳腐を聯想致候が年來の習慣にてはては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。斯く感ずる者和歌社會には無之と存候へど歌人ならぬ人は大方箇樣の感を抱き候やに承り候。をり/\は和歌を誹《そし》る人に向ひてさて和歌は如何樣に改良すべきかと尋ね候へば其人が首をふつていやとよ和歌は腐敗し盡したるにいかでか改良の手だてあるべき置きね/\など言ひはなし候樣は恰《あたか》も名醫が匙を投げたる死際の病人に對するが如き感を持ち居候者と相見え申候。實にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰へたれ形骸は猶保つべし、今にして精神を入れ替へなば再び健全なる和歌となりて文壇に馳驅するを得べき事を保證致候。こはいはでもの事なるを或る人がはやこと切れたる病人と一般に見|做《な》し候は如何にも和歌の腐敗の甚しきに呆れて一見して抛棄したる者にや候べき。和歌の腐敗の甚しさもこれにて大方知れ可申候。
此腐敗と申すは趣向の變化せざるが原因にて、又趣向の變化せざるは用語の少きが原因と被存候。故に趣向の變化を望まば是非とも用語の區域を廣くせざるべからず、用語多くなれば從つて趣向も變化可致候。ある人が生を目して和歌の區域を狹くする者と申し候は誤解にて少しにても廣くするが生の目的に御座候。とはいへ如何に區域を廣くするとも非文學的思想は容《い》れ不申、非文學的思想とは理窟の事に有之候。
外國の語も用ゐよ外國に行はるゝ文學思想も取れよと申す事に就きて日本文學を破壞する者と思惟する人も有之げに候へどもそれは既に根本に於て誤り居候。たとひ漢語の詩を作るとも洋語の詩を作るとも將《は》たサンスクリツトの詩を作るとも日本人が作りたる上は日本の文學に相違無之候。唐制に摸して位階も定め服色も定め年號も定め置き唐ぶりたる冠衣を著け候とも日本人が組織したる政府は日本政府と可申候。英國の軍艦を買ひ獨國の大砲を買ひそれで戰に勝ちたりとも運用したる人にして日本人ならば日本の勝と可申候。併し外國の物を用うるは如何にも殘念なれば日本固有の物を用ゐんとの考ならば其志には贊成致候へども迚も日本の物ばかりでは物の用に立つまじく候。文學にても馬、梅、蝶、菊、文等の語をはじめ一切の漢語を除き候はゞ如何なる者が出來候べき。源氏物語枕草子以下漢語を用ゐたる物を排斥致し候はゞ日本文學は幾何か殘り候べき。それでも痩我慢に歌ばかりは日本固有の語にて作らんと決心したる人あらばそは御勝手次第ながら其を以て他人を律するは無用の事に候。日本人が皆日本固有の語を用うるに至らば日本は成り立つまじく日本文學者が皆日本固有の語を用ゐたらば日本文學は破滅可致候。
或は姑息にも馬、梅、蝶、菊、文等の語はいと古き代より用ゐ來りたれば日本語と見做すべしなどいふ人も可有之候へどいと古き代の人は其頃新しく輸入したる語を用ゐたる者にて此姑息論者が當時に生れ居らばそれをも排斥致し候ひけん。いと笑ふ可き撞着に御座候。假に姑息論者に一歩を借して古き世に使ひし語をのみ用うるとして、若し王朝時代に用ゐし漢語だけにても十分に之を用ゐなば猶和歌の變化すべき餘地は多少可有之候。されど歌の詞《ことば》と物語の詞とは自ら別なり物語などにある詞にて歌には用ゐられぬが多きなど例の歌よみは可申候。何たる笑ふ可き事には候ぞや。如何なる詞にても美の意を運ぶに足るべき者は皆歌の詞と可申之を外にして歌の詞といふ者は無之候。漢語にても洋語にても文學的に用ゐられなば皆歌の詞と可申候。[#地から2字上げ]〔日本 明治31[#「31」は縦中横]・2・28[#「28」は縦中横]〕
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八たび歌よみに與ふる書
惡《あし》き歌の例を前に擧げたれば善き歌の例をこゝに擧げ可申候。惡き歌といひ善き歌といふも四つや五つばかりを擧げたりとて愚意を盡すべくも候はねど無きには勝りてんと聊《いささ》か列《つら》ね申候。先づ金槐和歌集などより始め申さんか。
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武士の矢並つくろふ小手の上に霰たはしる那須の篠原
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といふ歌は萬口一齊に歎賞するやうに聞き候へば今更取りいでゝいはでもの事ながら猶御氣のつかれざる事もやと存候まゝ一應申上候。此歌の趣味は誰しも面白しと思ふべく又此の如き趣向が和歌には極めて珍しき事も知らぬ者はあるまじく又此歌が強き歌なる事も分り居り候へども、此種の句法が殆ど此歌に限る程の特色を爲し居るとは知らぬ人ぞ多く候べき。普通に歌はなり、けり、らん、かな、けれ抔の如き助辭を以て斡旋せらるゝにて名詞の少きが常なるに、此歌に限りては名詞極めて多く「てにをは」は「の」の字三、「に」の字一、二個の動詞も現在になり(動詞の最短き形)居候。此の如く必要なる材料を以て充實したる歌は實に少く候。新古今の中には材料の充實したる句法の緊密なる稍此歌に似たる者あれど猶此歌の如くは語々活動せざるを覺え候。萬葉の歌は材料極めて少く簡單を以て勝る者、實朝一方には此萬葉を擬し一方には此の如く破天荒の歌を爲す、其力量實に測るべからざる者有之候。又晴を祈る歌に
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時によりすくれは民のなけきなり八大龍王雨やめたまへ
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といふがあり恐らくは世人の好まざる所と存候へどもこは生の好きで/\たまらぬ歌に御座候。此の如く勢強き恐ろしき歌はまたと有之間敷、八大龍王を叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]する處龍王も懾伏《せふふく》致すべき勢相現れ申候。八大龍王と八字の漢語を用ゐたる處雨やめたまへと四三の調を用ゐたる處皆此歌の勢を強めたる所にて候。初三句は極めて拙き句なれども其一直線に言ひ下して拙き處却て其眞率僞りなきを示して祈晴《きせい》の歌などには最も適當致居候。實朝は固より善き歌作らんとて之を作りしにもあらざるべく只眞心より詠み出でたらんがなか/\に善き歌とは相成り候ひしやらん。こゝらは手のさきの器用を弄し言葉のあやつりにのみ拘《こだは》る歌よみどもの思ひ至らぬ場所に候。三句切の事は猶他日|詳《つまびらか》に可申候へども三句切の歌にぶつゝかり候故一言致置候。三句の歌詠むべからずなどいふは守株《しゆしゆ》の〈論〉にて論ずるに足らず候へども三句切の歌は尻輕くなるの弊有之候。此弊を救ふために下二句の内を字餘りにする事屡有之此歌も其一にて(前に擧げたる大江千里の月見ればの歌も此例。猶其外にも數へ盡すべからず)候。此歌の如く下を字餘りにする時は三句切にしたる方却て勢強く相成申候。取りも直さず此歌は三句切の必要を示したる者に有之候。又
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物いはぬよものけたものすらたにもあはれなるかな親の子を思ふ
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の如き何も別にめづらしき趣向もなく候へども一氣呵成の處却て眞心を現して餘りあり候。序に字餘りの事一寸申候。此歌は第五句字餘り故に面白く候。或る人は字餘りとは餘儀なくする者と心得候へどもさにあらず、字餘りには凡《およそ》三種あり、第一、字餘りにしたるがために面白き者、第二、字餘りにしたるがため惡き者、第三、字餘りにするともせずとも可なる者と相分れ申候。其中にも此歌は字餘りにしたるがため面白き者に有之候。若し「思ふ」といふ〈を〉つめて「もふ」など吟じ候はんには興味索然と致し候。こゝは必ず八字に讀むべきにて候。又此歌の最後の句にのみ力を入れて「親の子を思ふ」とつめしは情の切なるを現す者にて、若し「親の」の語を第四句に入れ最後の句を「子を思ふかな」「子や思ふらん」など致し候はゞ例のやさしき調となりて切なる情は現れ不申、從つて平凡なる歌と相成可申候。歌よみは古來助辭を濫用致し候樣宋人の虚字を用ゐて弱き詩を作るに一般に御座候。實朝の如きは實に千古の一人と存候。
前日來生は客觀詩をのみ取る者と誤解被致候ひしも其然らざるは右の例にて相分り可申那須の歌は純客觀、後の二首は純主觀にて共に愛誦する所に有之候。併し此三首ばかりにては強き方に偏し居候へば或は又強き歌をのみ好むかと被考《かんがへられ》候はん。猶多少の例歌を擧ぐるを御待可被下候。
[#地から2字上げ]〔日本 明治31[#「31」は縦中横]・3・1〕
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九たび歌よみに與ふる書
一々に論ぜんもうるさければ只二三首を擧げ置きて金槐集以外に遷《うつ》り候べく候。
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山は裂け海はあせなん世なりとも君にふた心われあらめやも
箱根路をわか越え來れは伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ
世の中はつねにもかもななきさ漕く海人《あま》の小舟の綱手かなしも
大海のいそもとゝろによする波われてくたけてさけて散るかも
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箱根路の歌極
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