俳句には調が無くて和歌には調がある、故に和歌は俳句に勝れりとある人は申し候。これは強ち一人の論では無く歌よみ仲間には箇樣な説を抱く者多き事と存候。歌よみどもはいたく調といふ事を誤解致居候。調にはなだらかなる調も有之、迫りたる調も有之候。平和な長閑《のどか》な樣を歌ふにはなだらかなる長き調を用うべく悲哀とか慷慨《かうがい》とかにて情の迫りたる時又は天然にても人事にても景象の活動甚だしく變化の急なる時之を歌ふには迫りたる短き調を用うべきは論ずる迄も無く候。然るに歌よみは調は總てなだらかなる者とのみ心得候と相見え申候。斯《かか》る誤を來すも畢竟從來の和歌がなだらかなる調子のみを取り來りしに因る者にて、俳句も漢詩も見ず歌集ばかり讀みたる歌よみには爾《し》か思はるゝも無理ならぬ事と存候。さて/\困つた者に御座候。なだらかなる調が和歌の長所ならば迫りたる調が俳句の長所なる事は分り申さゞるやらん。併し迫りたる調強き調などいふ調の味は所謂歌よみには到底分り申す間敷《まじき》か。眞淵は雄々しく強き歌を好み候へどもさて其歌を見ると存外に雄々しく強き者は少く、實朝の歌の雄々しく強きが如きは眞淵には一首も
前へ
次へ
全38ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング