《ぢぐち》駄洒落を並べたがる半可通と同じく御當人は大得意なれども側より見れば品の惡き事夥しく候。縁語に巧を弄せんよりは眞率に言ひながしたるが餘程上品に相見え申候。
 歌といふといつでも言葉の論が出るには困り候。歌では「ぼたん」とは言はず「ふかみぐさ」と詠むが正當なりとか、此詞は斯うは言はず必ず斯ういふしきたりの者ぞなど言はるゝ人有之候へどもそれは根本に於て已に愚考と異り居候。愚考は古人のいふた通りに言はんとするにても無く、しきたりに倣はんとするにても無く只自己が美と感じたる趣味を成るべく善く分るやうに現すが本來の主意に御座候[#「只自己が美と感じたる趣味を成るべく善く分るやうに現すが本來の主意に御座候」に白丸傍点]。故に俗語を用ゐたる方其美感を現すに適せりと思はゞ雅語を捨てゝ俗語を用ゐ可申、又古來のしきたりの通りに詠むことも有之候へどそれはしきたりなるが故に其を守りたるにては無之其方が美感を現すに適せるがために之を用ゐたる迄に候。古人のしきたりなど申せども其古人は自分が新に用ゐたるぞ多く候べき。
 牡丹と深見草《ふかみぐさ》との區別を申さんに生等には深見草といふよりも牡丹といふ方が牡丹
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