きや疑はしく候。第二、それは善しとするも「麓にて」の一句理窟ぽくなつて面白からず、只心あてに見し雲よりは上にありしとばかり言はねばならぬ處に候。第三、不盡の高く壯《さかん》なる樣を詠まんとならば今少し力強き歌ならざるべからず、此歌の姿弱くして到底不盡に副《そ》ひ申さず候。几董《きとう》の俳句に「晴るゝ日や雲を貫く雪の不盡」といふがあり、極めて尋常に敍し去りたれども不盡の趣は却て善く現れ申候。
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もしほ燒く難波の浦の八重霞
       一重はあまのしわざなりけり
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 契冲の歌にて俗人の傳稱する者に有之候へども此歌の品下りたる事は稍心ある人は承知致居事と存候。此歌の傳稱せらるゝはいふ迄も無く八重一重の掛合にあるべけれど余の攻撃點も亦此處に外ならず、總じて同一の歌にて極めてほめる處と他の人の極めて誹《そし》る處とは同じ點に在る者に候。八重霞といふもの固より八段に分れて霞みたるにあらねば一重といふこと一向に利き不申、又初に「藻汐《もしほ》焚く」と置きし故後に煙とも言ひかねて「あまのしわざ」と主觀的に置きたる處いよ/\俗に墮ち申候。こんな風に詠まず
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