ぬ人の歌よりも、遥《はるか》に劣り候やらんと心細く相成《あいなり》申候。さて今の歌よみの歌は昔の歌よみの歌よりも更に劣り候はんには如何《いかが》申すべき。
 長歌のみはやや短歌と異なり申候。『古今集《こきんしゅう》』の長歌などは箸《はし》にも棒にもかからず候へども、箇様《かよう》な長歌は古今集時代にも後世にも余り流行《はや》らざりしこそもつけの幸《さいわい》と存ぜられ候なれ。されば後世にても長歌を詠む者には直《ただち》に万葉を師とする者多く、従つてかなりの作を見受け申候。今日とても長歌を好んで作る者は短歌に比すれば多少|手際《てぎわ》善く出来申候。(御歌会派《おうたかいは》の気まぐれに作る長歌などは端唄《はうた》にも劣り申候)しかし或《ある》人は難じて長歌が万葉の模型を離るる能《あた》はざるを笑ひ申候。それも尤《もっとも》には候へども歌よみにそんなむつかしい事を注文致し候はば、古今以後|殆《ほとん》ど新しい歌がないと申さねば相成|間敷《まじく》候。なほいろいろ申し残したる事は後鴻《こうこう》に譲《ゆず》り申候。不具。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月十二日)
[#改ページ]

 
前へ 次へ
全43ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング