れで神や妖怪《ようかい》やあられもなき事を面白く画き申候。しかし神や妖怪を画くにも勿論写生に依るものにて、ただありのままを写生すると、一部一部の写生を集めるとの相違に有之、生の写実も同様の事に候。これらは大誤解に候。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月二十四日)
[#改ページ]

    七《なな》たび歌よみに与ふる書


 前便に言ひ残し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば、直ちに俗気を聯想するが如く、和歌といへば、直ちに陳腐を聯想致候が年来の習慣にて、はては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。かく感ずる者和歌社会には無之と存候へど、歌人ならぬ人は大方|箇様《かよう》の感を抱き候やに承り候。をりをりは和歌を誹《そし》る人に向ひて、さて和歌は如何様《いかよう》に改良すべきかと尋ね候へば、その人が首をふつて、いやとよ和歌は腐敗し尽したるに、いかでか改良の手だてあるべき、置きね置きねなど言ひはなし候様は、あたかも名医が匙《さじ》を投げたる死際《しにぎわ》の病人に対するが如き感を持ちをり候者と相見え申候。実にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚
前へ 次へ
全43ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング