考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰へたれ、形骸《けいがい》はなほ保つべし、今にして精神を入れ替へなば、再び健全なる和歌となりて文壇に馳駆《ちく》するを得べき事を保証致候。こはいはでもの事なるを或《ある》人が、はやこと切れたる病人と一般に見|做《な》し候は、如何にも和歌の腐敗の甚しきに呆《あき》れて、一見して抛棄《ほうき》したる者にや候べき。和歌の腐敗の甚しさもこれにて大方知れ可申候。
 この腐敗と申すは趣向の変化せざるが原因にて、また趣向の変化せざるは用語の少きが原因と被存《ぞんぜられ》候。故に趣向の変化を望まば、是非《ぜひ》とも用語の区域を広くせざるべからず、用語多くなれば従つて趣向も変化可致候。ある人が生を目して、和歌の区域を狭くする者と申し候は誤解にて、少しにても広くするが生の目的に御座候。とはいへ如何に区域を広くするとも非文学的思想は容《い》れ不申、非文学的思想とは理窟の事に有之候。
 外国の語も用ゐよ、外国に行はるる文学思想も取れよと申す事につきて、日本文学を破壊する者と思惟《しい》する人も有之《これある》げに候へども、それは既に根本において誤りをり候。たとひ漢語の詩を作ると
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