料の充実したる、句法の緊密なる、ややこの歌に似たる者あれど、なほこの歌の如くは語々活動せざるを覚え候。万葉の歌は材料極めて少く簡単を以て勝《まさ》る者、実朝一方にはこの万葉を擬し、一方にはかくの如く破天荒《はてんこう》の歌を為す、その力量実に測るべからざる者有之候。また晴を祈る歌に
[#ここから2字下げ]
時によりすぐれば民のなげきなり八大竜王《はちだいりゅうおう》雨やめたまへ
[#ここで字下げ終わり]
といふがあり、恐らくは世人の好まざる所と存候へども、こは生の好きで好きでたまらぬ歌に御座候。かくの如く勢強き恐ろしき歌はまたと有之間敷《これあるまじく》、八大竜王を叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》する処、竜王も懾伏《しょうふく》致すべき勢《いきおい》相現れ申候。八大竜王と八字の漢語を用ゐたる処、雨やめたまへと四三の調を用ゐたる処、皆この歌の勢を強めたる所にて候。初三句は極めて拙《つたな》き句なれども、その一直線に言ひ下して拙き処、かへつてその真率《しんそつ》偽《いつわ》りなきを示して、祈晴《きせい》の歌などには最も適当致しをり候。実朝は固より善き歌作らんとてこれを作りしにもあらざるべく、ただ真心より詠み出でたらんが、なかなかに善き歌とは相成り候ひしやらん。ここらは手のさきの器用を弄《ろう》し、言葉のあやつりにのみ拘《こだわ》る歌よみどもの思ひ至らぬ所に候。三句切《さんくぎれ》の事はなほ他日|詳《つまびらか》に可申候へども、三句切の歌にぶつつかり候故一言|致置《いたしおき》候。三句切の歌詠むべからずなどいふは守株《しゅしゅ》の論にて論ずるに足らず候へども、三句切の歌は尻軽くなるの弊《へい》有之候。この弊を救ふために、下二句の内を字余りにする事しばしば有之、この歌もその一にて(前に挙げたる大江千里《おおえのちさと》の月見ればの歌もこの例、なほその外にも数へ尽すべからず)候。この歌の如く下を字余りにする時は、三句切にしたる方かへつて勢強く相成申候。取りも直さずこの歌は三句切の必要を示したる者に有之候。また
[#ここから2字下げ]
物いはぬよものけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
[#ここで字下げ終わり]
の如き何も別にめづらしき趣向もなく候へども、一気呵成の処かへつて真心を現して余りあり候。ついでに字余りの事ちよつと申候。この歌は
前へ
次へ
全22ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング