しき遊びなりき。いもうとのすなる餅花《もちばな》とて正月には柳の枝に手毬《てまり》つけて飾るなり、それさへもいと嬉しく自ら針を取りて手毬をかがりし事さへあり。昔より女らしき遊びを好みたるなり。ある年東京へ行く某の叔父に歌がるたを頼みけるに疾《と》く送りこされぬ。そのかるた善き品にて、我家には過ぎたりと人皆のいへりしが、そのかるたいたく我が気に入りて年々の正月を待ち兼ねたり。相手なき時は自ら読み自ら取りて楽みとす。曾根好忠の赤き扇は中にもうつくしく感ぜられて今に得忘れず。十二、三の頃友に画を習ふ者あり、羨《うらや》ましくて母に請ひたれど、画など習はずもありなんとて許されず。その友の来るごとに画をかかせて僅《わずか》に慰めたり。
 幼時より客観美に感じやすかりしわれは我家の長物(かるたを除くほか)一として美とすべき者なきを見て心に楽まず、如何にしてわれはかかる貧しき家に生れけんと思ふに、常に他人の身の上の妬《ねた》ましく感ぜられぬ。ひとり造化は富める者に私《わたくし》せず、我家をめぐる百歩ばかりの庭園は雑草雑木四時|芳芬《ほうふん》を吐いて不幸なる貧児を憂鬱《ゆううつ》より救はんとす。花は
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