し。われが三つの時、母はわれをつれて十町ばかり隔りたる実家に行きしが、一夜はそこに宿らんとてやや寐入りし頃、ほうほうと呼びて外を通る声身に入《し》みて夢|覚《さ》めたり。(ほうほうとは火事の時に呼ぶ声なり)すは火事よとて起き出でて見るに火の手は未申《ひつじさる》に当りて盛んに燃えのぼれり。我家の方角なれば、気遣《きづかわ》しとてわれを負ひながら急ぎ帰りしが、我が住む横町へ曲らんとする瞬間、思ひがけなくも猛烈なる火は我家を焼きつつありと見るや母は足すくみて一歩も動かず。その時背に負はれたるわれは、風に吹き捲《ま》く※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》の偉大なる美に浮かれて、バイバイ(提灯のこと)バイバイと躍《おど》り上りて喜びたり、と母は語りたまひき。あくまで惨酷《ざんこく》なる猛火に対する美感は如何にありけんこの時以後再び感ずる能はず。年長じて後、イギリスの小説(リツトンのゴドルフインにやありけん)を読む。読みてまさに終らんとす、主人公志を世に得ず失望して故郷に帰る、故郷|漸《ようや》く近くして時、夜に入るふと彼方を望みて、丘の上に聳《そび》えし宏壮なる我家の今
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