れて、
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つゝら折幾重の峯をわたりきて雲間にひくき山もとの里
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 日もやゝ暮れかゝれば四方濛々として山とも知らず海とも知らず。かけ上る駒の蹄に踏み散らす雲霧のあはひを見れば一歩の外己に削りたてたる嶮崖の底もかすかなることおそろし。登れども登れども極まる処を知らず。山ます/\高く雲いよ/\低し。
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見あぐれば信濃につゞく若葉哉
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 軽井沢はさすがに夏猶寒く透間もる浅間おろしに一重の旅衣、見はてぬ夢を護るに難かり。例ならず疾く起きいでゝ窓を開けば幾重の山嶺屏風を遶《めぐ》らして草のみ生ひ茂りたれば其の色染めたらんよりも麗はし。
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山々は萌黄浅葱やほとゝぎす
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 浅間は雲に隠れて煙もいづこに立ち迷ふらんと思はる。汽車を駆りて善光寺に詣づ。いつかの大火に寺院はおろかあたりの家居まで扨も焼けたりや焼けたり、千歳の松も限りあればや昔の縁|乍《たちま》ち消えうせて木も枝もやけこがれさも物うげに立てるあはひに本堂のみ屹然として聊かも傷はざるは浪花堀江の御難をも逃れ給ひし御仏の力、末世の今に至るまで変らぬためしぞかしこしや。
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あれ家や茨花さく臼の上
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 又川中嶋を過ぎて篠井まで立戻る。古戦場はいづくの程とも知らねど山と川とに囲まれて犀河の廻るあたりにやあらん。河の水いたく痩せてほとりの麦畠空しく赤らみたり。
 稲荷山といふ処にて雨ふりいでたれば、
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日はくれぬ雨はふりきぬ旅衣袂かたしきいづくにか寝ん
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 つぐの日雨晴る。路々立てたる芭蕉塚に興を催して辿り行けば行くてはるかに山重なれり。野の狭うとがりて次第々々にはひる山路けはしく弱足にのぼる馬場嶺、さても苦しやと休む足もとに誰がうゑしか珊瑚なす覆盆子《くさいちご》、旅人も取らねばやこぼるゝばかりなり。少し上りてとある樹陰の葭簀茶屋に憩へば主婦のもてなしぶり谷水を四五町のふもとに汲みてもてくる汗のしたゝり、情を汲む一口に浮世の腸は洗はれたり。一樹の陰一河の流れとや。ひじりの教も時にあふてこそありがたけれ。
 行くてを仰ぎては苦しみ越方を見下しては慰む。目じるしの大木やう/\近づけばこゝにも一軒の茶屋。山の嶺を
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