ズの項には、こうある。
「Henry Wiliams, Picture−restorer, son of Henry John Wiliams, commercial traveller.」
絵画修復師《ピクチュア・レストアラア》という職業になっているが、額縁《がくぶち》の入れ換え修繕をしたり、絵の手入れや掃除をする、一種の骨董屋《こっとうや》の下廻りみたいなものであろう。実際ジョウジ・ジョセフ・スミスは、以前からブリストル市で骨董屋《こっとうや》をおもてむきの稼業にしているのだった。
例によって、二人は教会を出るとすぐ、その足で近所の弁護士を訪問して、夫婦間の財産問題を「明白」にしておくことにした。この、結婚と同時に「必要な事務」を手早く片付けることはスミスの常套手段《じょうとうしゅだん》になっていた。結婚直後だと、女はまだ浮々しているし、それに、これから新生活にはいるつもりでおおいに意気込んでいるところだから、万事彼の思うとおりに取り決め易いというのである。ところが、このベシイ・マンディの場合には、弁護士のもとへ行って初めてヘンリイ・ウイリアムズは一つの驚きを味わわされた。それは、彼女はそうとうの財産をもっているような口ぶりだったのが、よく調査してみると、月々の小遣《こづか》いの中から伯父《おじ》なるパトリック・マンディがいくらかずつ保留してベシイの名で積み立てておいた百三十八ポンドというものが自由になるだけで、ほかは一切いまいった後見人の伯父が財産の口を押えていて、本人のベシイでさえ手を触れることができないというのだ。これはなんとも当ての外れた話で、ヘンリイ・ウイリアムズはすくなからず勝手が違ったが、それでも百三十八ポンドは百三十八ポンドである。さっそく弁護士の方からパトリック・マンディの姪《めい》の結婚を報《しら》せてその金を送ってよこすように言ってやると、伯父がぐずぐず言い出してやはり弁護士を代理に立てたが、結局法律上ベシイの名義になっている金を送らないというわけにはゆかないので数日後、金は、ベシイの手に、というより、良人《おっと》ヘンリイ・ウイリアムズの手にはいった。するとその日に今度は彼がどろん[#「どろん」に傍点]をきめたのだ。ちょっとそこらへ行くような顔をして出たきり帰らないので、幻滅と悲痛に気の抜けたようになったベシイ・コンスタンス・アニイ・マンデイは、それからまもなく、ウエストン・スウパア・メアのタケット夫人の下宿へ移って、ひとり静かに心の痛手を癒《いや》すことになった。いっぽうヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスは、ブリストルに待っている情婦エデス・メエベル・ペグラア―― Edith Mabel Pegler ――の胸へ帰っていた。ベシイ・マンデイから捲《ま》きあげた金で、彼らのうえに、またとうぶん情痴《じょうち》と懶惰《らんだ》の生活が続いた。
それが二年も続いている。その間は犠牲者がない。この期間をスミスはペグラアと一緒にブリストル、サウセンド、ウォルサムストウ、ロンドンと住み歩いて最後にまたブリストルへ帰ってきた。それが一九一二年の二月で、本稿の冒頭に記した「アリス・バアナム事件」を先立つ約二カ年のことである。筆者は事件を主眼に、年代を追わずにこの記述を進めていることを、この機会に一言しておきたい。
二月にブリストルへ帰って来た時は、スミスは財政的にかなり逼迫《ひっぱく》していた。ただちに女狩りに着手して、ウェストン・スウパア・メアへでかけた。そしてふたたびベシイ・マンディに会ったのだが、初めて知った男のヘンリイ・ウイリアムズを、ベシイは忘れかねていたのだろう。恋は思案の外という真理に洋の東西はない。ああして結婚後すぐ金を浚《さら》って姿を晦《くら》ました男ではあるが、ベシイは再会と同時にすべてを水に流して、またただちに彼と同棲《どうせい》生活を始めた。が、その前に、いくら夫婦の間でも金銭のことは明瞭にしておかなければならないとヘンリイが主張して、彼は、二年前に持ち逃げしたアリスの金にたいして、この時あらためて借用申候《しゃくようもうしそろ》一|札之事《さつのこと》を入れている。しかも四分の利子ということまで決めたのだから、念が入っている。水臭いようだが、形式はあくまでも形式として整えておかなければ気がすまないとヘンリイが言うと、ベシイは、「帰って来た良人《おっと》」 の「男らしい態度」に泪《なみだ》を流して悦《よろこ》んだ。これで、ベシイの方は難なく納まったが、そうまでして堅いところを見せても、肝心《かんじん》の伯父パトリック・マンディには、依然として好印象を与えなかった。伯父はこのヘンリイ・ウイリアムズなる人物にますます不信と不安を募《つの》らせるいっぽうで、法定後見人である立場を固守して、保管中のベシイの財産から鐚《びた》一文もまわすことはできないと断然拒絶したのだ。これで、本人のベシイが生きている間は、ヘンリイ・ウイリアムズはその二千五百ポンドに手をおく横会が絶対になくなったわけである。ベシイが死ねば、遺言によって遺産を相続することは、比較的簡単なのだ。もう一つ、今度彼が決行を急いだ理由は、伯父がその財産管理人としての権利を伸長させてベシイの全財産を政府の年金に組み更《か》えはしないかということを懼《おそ》れたためだった。伯父が危険を感じているとすれば、そういうことができるのである。こうすれば、自分の責任が軽くなると同時に、いかにヘンリイが策動したところで、手も足も出ないし、ベシイも生涯をつうじて完全に保証されることになるのだから、叔父がこの手段を採《と》るかもしれない可能性は十分にあるのだった。ヘンリイ・ウイリアムズは狼狽《ろうばい》して、着々「浴槽の花嫁」の準備に取りかかった。
機会を窺《うかが》っているうちに、容赦《ようしゃ》なく日がたってしまう。五月なかばになった。イギリスの春は遅いがこのころは一番いい時候である。公園の芝生がはちきれそうな緑をたたえて、住宅区域の空に雲雀《ひばり》の声がする。ライラックが香って、樹の影が濃い。ヘンリイ・ウイリアムズ夫妻はその時までハアン・ベイに住んでいたが、そこでは、近所に知りあいもできているので、事件後の口のうるさいことを思って、ヘンリイの主唱で、五月二十日に、二人はハイ街に一軒の古風な、小さな家を借りて急に移転した。赤|煉瓦《れんが》建ての、住み荒した不便な家であった。この家を借りるにあたって、どうせ長くいないことを想見《そうけん》したものか、ヘンリイは一年の家賃の中からすこし手付けを置いただけで引っ越している。じつに気味の悪い転居であった。
七月八日に夫妻は同町の一弁護士を訪れて、彼のいわゆる「形式」として、ヘンリイがまず自己の所有のすべてを妻ベシイに遺《のこ》す旨《むね》の遺言書を作製して署名した。ベシイは一通同じ意味の遺言を調《ととの》えて、型どおり弁護士立会の下に夫婦それを交換した。遠い慮《おもんぱか》りとして、ベシイはこの良人《おっと》の処置を悦んだが、案外それは近い慮《おもんぱか》りだったのだ。これで安心したヘンリイは、ただちに第二の支度《したく》を急いだ。
まず風呂槽を買っている。けちな借家で、家に浴槽が付いていないので、彼はヒル街の金物商へでかけて行って、一度目的に役立ちさえすれば好いのだから、粗末なのでたくさんだ。一ポンド十七シリング六ペンスで一番|安価《やす》いブリキのやつを買った。それも、はじめ二ポンドというのをしつこく値切って負けさせたのだ。資本は必要の範囲内で少額なほどよいというので、細かい男だった。
4
三日後の七月十一日に、同じ町に住む開業医フレンチ医師の許《もと》に、ヘンリイ・ウイリアムズが夫人を伴《ともな》って診察を受けに来た。聞いてみると、夫人に軽微な発作《ほっさ》が起るというのである。それは、夫人のベシイ・マンディがいうのではなく、良人《おっと》のヘンリイが話したのだった。ちょうどその二、三日酷暑が襲って来て、急病人が多く、健康な人もなんらか身体に変調を感じ易い時だったので、ただそれだけのことにすぎないと、ベシイ・マンディのウイリアムズ夫人は、医者へ来てまでも軽く抗弁していたが、とにかくというのでフレンチ医師が診察すると、ヘンリイの話した容態が先入主になっていたせいか、医師は簡単に癲癇《てんかん》の疑いがあるという診断を下した。ヘンリイはあらかじめ癲癇の初期の症状を調べて行って、それに適合するようにいったのであろう。フレンチ医師が医学校を出てまもない、二十代のほやほやだったということも、彼にとっては好|都合《つごう》だったに相違ない。こうしてベシイ・マンデイは嫌応《いやおう》なしに癲癇の兆候があるということに外部から決められてしまったのだ。ヘンリイはおおいに「心配」して、その日から無理やりベシイを寝台に寝かせきりにしてしまった。翌十二日に念のためフレンチ医師が往診すると、どこもなんともなくぴんぴんしているヘンリイ夫人が、すっかり病人めかして寝台に寝かされていた。医師はちょっと滑稽《こっけい》に感じて、癲癇《てんかん》といっても、軽兆候が見える程度のものだから、そんなに用心する必要はないと言い残して帰った。が、明けて十三日――ベシイ・マンディにとってはたしかに十三[#「十三」に傍点]の凶日だった――フレンチ医師は「周章狼狽《しゅうしょうろうばい》」して飛び込んで来たヘンリイ・ウイリアムズによって愕《おどろ》かされた。「癲癇《てんかん》患者」のベシイ夫人が、浴槽で「死んだように」になっているから、すぐ来てくれと言う。その時のヘンリイは、傍《はた》の見る眼も気の毒なほど、狂気のように取り乱していた。ただちにハイ街の家へ駈け付けてみると、はたしてベシイは、同家屋根裏に取り付けられた金一ポンド十七シリング六ペンス也《なり》のブリキの浴槽の中で片手に石鹸を握ったまま、冷く固くなっていた。こうしてベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディは、入浴中の「癲癇《てんかん》の発作」で、裸体という失礼な風俗のまま見事に昇天しトしまった。なにしろとっさのことで、着物を着る暇がなかったのだろうと、ヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスがあとで裁判長を揶揄《やゆ》している。しかし、絵で見る天使はみんな裸体だから、あれでいっこう差閊《さしつか》えあるまいと彼はこの悲劇に不謹慎《ふきんしん》なユウモアを弄《ろう》して満廷を苦笑させた。これは後日のことで、とにかく、こんなことがないように、医者にも見せてあれほど注意したのだ。それだのに、大丈夫だといって入浴したりするから、取返しのつかないことになってしまったと嘆き悲しんで、その当座彼は「半狂乱」の有様だった。
これはスミスが、もっともうまく遣《や》った商売《デイル》の一つだった。殺す前にベシイを唆《そそのか》して、自分はときどき発作に襲われるようになったというようなことを手紙に書いて、方々の親類へ出させたのだ。その中にはヘンリイとその愛の生活といったような惚気《のろけ》混《まじ》りの文句もある。そして、自分は良人《おっと》を愛するし、良人もよくしてくれるから、良人を全財産の相続人として遺書を作ったと報告している。なにしろ故人がまだ生きているうちに手記したものだから、この手紙はヘンリイにとって大きな便宜《べんぎ》となった。そのために、屍《し》体の解剖を主張した伯父パトリック・マンデイの要求も斥《しりぞ》けられて、フレンチ医師のとおり一遍の死亡検案書がそのまま通った。事件の四日目から彼は相続の手続を始めている。親類の中には死因に疑念を挟《はさ》む者もあって、パトリック・マンデイを先頭に立てていちじは訴訟になりそうな形勢だったが、なにしろベシイの遺言書に法律上の瑕瑾《きず》がないので、ついに折れて手を引いてしまった。二千五百ポンド――二万五千円――はヘンリイ・ウイリアムズの有に帰した。
この時情婦のエデス・ペグラアは
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