ドンを、看過《かんか》することはできなかったのだ。ブラドンが下宿を出る時、クロスレイ夫人が面とむかって痛罵《つうば》すると、彼は平然として答えた。
「死んだやつは、死んだやつさ。」
この When they're dead they're dead という、アウネスト・ブラドンことジョウジ・ジョセフ・スミスの言葉は、彼ならびに彼と同型の常習殺人犯の、病的に冷酷な心状を説明する最適の言辞として、いまだに、犯罪研究者の間に記憶されている有名なものである。じつにジョウジ・ジョセフ・スミスは、「一杯の葡萄《ぶどう》酒を傾けるような」日常的な気易さをもって、つぎつぎに花嫁として彼の前に現われる女を殺しまわったのだ。そして一人殺すごとに、彼は内心|呟《つぶや》いたに相違ない。「死んだやつは、死んだやつさ」と。この種の犯罪者は、常にこの徹底した利己観念のうえに立っていて、そのうえ自己の犯罪能力と隠蔽《いんぺい》の技巧を信ずることすこぶる厚いのを特徴とする。したがって殺した方が目的に適《かな》う場合には、みずからを逡巡《しゅんじゅん》や反省なしに平気で殺人を敢行《かんこう》するのである。そして、that's that として、すぐに忘れる。ブラドン本名スミスの言った When they're dead they're dead の一言は、この意味で、その間の心理的消息を説明してあますところない。実際このスミスは、多殺者列伝の中でも第一位に推《お》されるべき傑物《けつぶつ》だ。その細心いたらざるなき注意と、事件にあたってまず周囲の人を完全に欺《だま》す俳優的技能とは、まさに前古|未曽有《みぞう》のものといわれている。また彼は、犯罪史に、一つの秘密な「家庭的」殺人方法を加えた発明家でもあった。それがここにいう「浴槽の花嫁」なる天才的な独創である。長く気づかれずにすぎたのだった。
性的動機よりも、スミスの女殺しはむしろ稼業《ビジネス》として金銭が目的だった。この点いっそう彼をして冷血動物の感あらしめるが、女殺しといえば、このスミスこそ真の女殺しであろう。
アウネスト・ブラドンと変名したジョウジ・ジョセフ・スミスと、看護婦アリス・バアナムとが知りあいになったのは、英国南部の海岸町アストン・クリントンだった。バアナム家は、そうとう手広くやっている石炭屋で、父母と、アリスのほか五人の兄弟姉妹があったが、ブラドンのスミスは、最初から、そのたれにも気受けがよくなかった。ぐうたららしい彼の容貌や態度が、家人の気に入らなかったのだ。ことに父親の老バアナムは、ひどくブラドンを嫌って、娘に会うために家を訪問して来ることを、きっぱり断った。それが十月三十一日だった。すると、その四日後に、ブラドンに唆《そそのか》されたアリスは、この猛烈な家族の反対を無視して、彼と結婚してしまった。そしてその翌日、ブラドンはさっそく「愛妻」アリスを五百ポンド――約五千円――の生命保険に加入させている。
これでアリスの呼吸に五百ポンドの値段がついたわけだが、ほかにも彼女は、自分名義のささやかな財産をもっていた。百ポンドというから約千円だ。大部分は父から貰ったものだが、残余は自分の貯金だった。この金は、父のバアナム老が管理していたので、結婚後数日|経《へ》て、アリスは家父に手紙を書いて、ただちに全部送金するように頼んでやったが、いくら待っても送ってよこさないので、十一月二十二日に、ふたたび催促《さいそく》の手紙を出した。それでも、なんの返事もない。アリスは、中二日おいて、父を訴える意気込みで弁護士のもとに相談に行ったりしている。ブラドンが陰にあって一日も早く現金を取り寄せるようにアリスを急《せ》き立てたようすが、想像されるのである。こうなると父のバアナム老も負けていない。同じく弁護士を訪問して対策を講じた結果、彼としては、娘の婿《むこ》であるブラドンという人物に明瞭でない個所があって不安を感じていて、そのために送金しないだけのことなのだから、あらためて、その弁護士が、依頼者バアナム老人の代理格でブラドンに一書を飛ばして、彼の出生、家族関係、職業、財産など、彼自身に関する満足な説明を求めたのだがこれにたいして書き送ったブラドンの返事なるものは、こういう犯罪者の無責任な嗜悪戯《しあくぎ》性を発揮していて、特徴のあるものである。彼は、老バアナムは自分とアリスとの結婚を承認しないという理由の下に、アリスの金を送ってよこさないものの、アリスは成年に達しているので、その結婚は父の承認を経《へ》ないでも有効なのだから、バアナムの立場は、なんら法律的に根拠のあるものでないことを熟知していたし、また相手方の弁護士がそれを承知しきっていることも心得ていたので彼の返書は、じつに悪ふざけを極《きわ》めたものだった。ブラドンはこの手紙の中で、自分の母は荷馬車の馬であり、父はその御者《ぎょしゃ》、姉は曲馬団の調馬師、兄弟はすべて道路の地|均《なら》し用蒸気ロウラアに乗り組んでいる小意気な船員たちだと、ユウモラスなつもりだろうが、このごろ流行《はや》るナンセンス文学みたいな、なんだか要領を得ないことを言っている。
とうとう仕方なしにバアナム老が負けて、百四ポンドの小切手を送ってよこしたが、それがまっすぐブラドンのポケットへ落ちたことはもちろんだ。十二月八日に、アリスの保険証書が会社から届いた。即日彼は、たんに形式だからとアリスを説いて、遺書の交換をやっている。それによって、どっちでも先に死んだ方が、残る者のために財産全部を遺《のこ》して逝《ゆ》くことに法律的に決定したわけだが、どっちが先に死ぬかとは、ブラドンがアリスを一眼見た時から、とうに決まっていたのだ。こうしてすっかり準備ができたところで、ブラドンはアリスを伴ってブラックプウルの町へ出たのである。
これが一九一三年の十二月九日で、三日後の十二日には、早くもアリスの遺書が口をきくことになった。アリスの所有品と貯金と保険金を掻《か》き集めたブラドンは、本名のスミスになって情婦のエデス・ペグラアのもとへ帰り、カラアも着けずにスリッパ一つで家の中をのろのろしているような生活を数カ月続けた。
すると、翌一九一四年の八月のことだ。
アリス・リイヴル――偶然にも前の被害者と同じ呼名である――という女中が、ボウンマスでチャアルス・オリヴァ・ジェイムスと呼ぶ男と知りあいになった。チャアルス・オリヴァ・ジェイムスなんて、山田太郎みたいに変名変名していて、あまり上手な変名とはいえないが、とにかくこの Mr. Charles Oliver James は、知り合いになった四日目に、電光石火的にアリス・リイヴルに結婚を申し込んだ。アリス・リイヴルは、女中ながらも真面目に働いて、七十ポンドの銀行預金と家具をすこしとピアノを一台持っていた。彼女は、チャアルス・オリヴァ・ジェイムスの結婚の申し込みをさっそく承諾して、ピアノを十四ポンドで売り払って、結婚の日の九月十七日に、その金と一緒に、預金引出しの委任状に署名までして良人《おっと》チャアルス・オリヴァ・ジェイムスに渡している。結婚式を挙げたのはウィルウィッチの教会だった。同日、まもなく、二人はラヴェンダア・ヒル銀行に現われて、預金の全部をおろした。そしてただちにブロックウェル公園の近くにデルフィルド夫人という老婦人の経営する下宿屋を発見して落ち着いたのだが、この家に浴室のあったことはもちろんである。また、二、三日して、チャアルス・オリヴァ・ジェイムス氏が、どこもなんともないアリス・ジェイムス夫人を、近所の医師アレキサンダア・ライスのもとへ同伴して診察を乞《こ》うたことはもちろんである。花嫁の入浴、日用品を買いにちょっと外出したと見せかけたジェイムスの現場不在証明《アリバイ》、浴槽における花嫁の溺《でき》死、アレキサンダア・ライス医師の簡単な死亡証明書、涙の葬《とむら》い等、すべて前の事件と同じであることも、またもちろんである。When they're dead they're dead. 明瞭すぎる事実だ。
3
ベシィ・コンスタンス・アニイ・マンディ―― Bessy Constance Annie Mundy ――という長たらしい名の女は、ブリストルのロイド銀行出張所支配人 Reginald Mundy の娘で、三十三歳になる老嬢だった。父の遺産二千五百ポンドを相続していたが、それは後見人《こうけんにん》となっている伯父《おじ》のパトリック・マンデイが保管して、いくつにも分割して確実な事業に投資していたので、ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディの実際の所得は、年利わずかに百ポンドにもつかなった。が、ベシイ・マンディは、明らかに保守的な、内気《うちき》な女だったに相違ない。この少額な年収に満足して財産のことはすべて伯父パトリック・マンディに任せきりにしたまま、自分はほとんど宗教的な、あくまで静かな独身女の生活を守っていた。しかし、ベシイ・マンディも女性なのだし、それに、三十三なら、晩婚の女の多いイギリスあたりではそんなに老嬢《オウルド・ミス》の組でもないので、いつかは彼女の前に現われるであろう騎士を待つ心は無意識にも絶えずあったのだろう。大戦前の都会における女性の冒険といえば、せいぜい下宿屋を移り歩くくらいのものだったが、このベシイ・マンディもそれに倣《なら》って下宿屋から下宿屋へと自由なようで自由でない、なにか素晴らしい興味が待っているようでその実なんら[#「なんら」は底本では「ならん」と誤植]の興味も待っていない、大都会で自分の影を追うような、あの妙にはかない独身者の移転生活を送っていた。このベシイ・マンデイ嬢が、ヘンリイ・ウイリアムズ―― Henry Wiliams[#「Wiliams」は底本では「Wilians」と誤植] ――これも山田太郎的に、変名で候《そうろう》といわんばかりの変名だ。どうもスミスは能のない変名ばかり選ぶ癖があったようだ――に会ったのは、そうしてさかんに引っ越して歩いていた素人《しろうと》下宿の一つであった。これが日本の話なら、さしずめ神田か本郷の下宿の場が眼に浮かんで、舞台の想描も容易なのだが、西洋だって、同じことだ。下宿屋の恋は、急テンポをもって進展するにきまっている。ことにこの場合は相手が職業的「女殺し」ヘンリイ・ウイリアムズである。ベシイ・マンディの探していたものが冒険と退屈|凌《しの》ぎなら、とうとう彼女は、理想的なそれに行き当ったわけだ。しかもとんでもない大冒険の後、ついに彼女は、もう退屈を感じる必要のない場所へ行ってしまった。例によって、裸体のまま¢cDら天国へ旅立ったのである。
ヘンリイ・ウイリアムズは、背丈《せたけ》の高い、小|綺麗《ぎれい》な紳士だった。敏捷《すばしっ》こく動く眼と、ロマンティックな顔の所有主だったとある。気位《きぐらい》の高いベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディ嬢から観《み》れば、いささか教養の点に不満があったようだが、元来性的結合には、なんらの条件が予在しない。それに、こうして下宿屋を移り歩いていたというのは、つまりベシイ・マンディは三十三になっていて、淋《さび》しかったのである。賑《にぎ》やかな讃美者の群に取り巻かれている女王よりも、自分だけの女王の孤独の女のほうが、近代の都会では、より危険率が高いのだ。
しかし、この時は結婚というところまで漕《こ》ぎつけるのに、ヘンリイ・ウイリアムズもかなりの努力を要したのだった。それはベシイ・マンディが珍らしく古風な、宗教心の強い女だったので伝統的な婚約の期間として、彼はそうとうの日数を待たなければならなかった。が、結局二人はウェイマスへでかけて行って、三日ののち、そこの教会でこっそり式を挙げた。老嬢ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディは、ついに聖なる鎖《くさり》によってヘンリイ・ウイリアムズに継ながれたのである。その時の結婚登録を見ると、女のほうはわかっているが、ヘンリイ・ウイリア
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