コが聞えた。ブラッチ夫人は別に気に留《と》めないで用をしているところへ、いつのまにか良人《おっと》のロイドの方が降りて来ていて、階下の応接間で彼の弾くピアノの音がしていた。ピアノの音は十分ほど続いた。そのうちにロイドは玄関から出て行った様子だ。おもての扉が大きな音を立てて締まった。と思うまもなく、玄関でベルが鳴った。ブラッチ夫人が出て行って開けると、はいって来たのは、いま出て行ったばかりのロイドだった。ついその近くの大通りまで買物に行ったのだが、急いで飛び出したので帰りの鍵を持って出るのを忘れた。ベルを鳴らして開けてもらったりしてすまないと言って、彼は快活に笑った。買って来た品物は、今度は鶏卵ではなかった。トマトだった。
「家内はまだ食事に降りて来ませんか。」
「いいえ。」
「長湯だなあ。何をしてるんだろう。」
 階段を上りながら、ロイドは大声に呼んだ。
「出ておいでよ、好《い》いかげんに。」
 返事がない。ないはずだ。その時はすでにマアガレット・エリザベス・ロフティはスミスのいわゆる「裸体の天使」の仲間入りをしていたのだが、その妻の名を呼ばわりながら浴室へはいって行ったロイドは、たち
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