、な緑をたたえて、住宅区域の空に雲雀《ひばり》の声がする。ライラックが香って、樹の影が濃い。ヘンリイ・ウイリアムズ夫妻はその時までハアン・ベイに住んでいたが、そこでは、近所に知りあいもできているので、事件後の口のうるさいことを思って、ヘンリイの主唱で、五月二十日に、二人はハイ街に一軒の古風な、小さな家を借りて急に移転した。赤|煉瓦《れんが》建ての、住み荒した不便な家であった。この家を借りるにあたって、どうせ長くいないことを想見《そうけん》したものか、ヘンリイは一年の家賃の中からすこし手付けを置いただけで引っ越している。じつに気味の悪い転居であった。
 七月八日に夫妻は同町の一弁護士を訪れて、彼のいわゆる「形式」として、ヘンリイがまず自己の所有のすべてを妻ベシイに遺《のこ》す旨《むね》の遺言書を作製して署名した。ベシイは一通同じ意味の遺言を調《ととの》えて、型どおり弁護士立会の下に夫婦それを交換した。遠い慮《おもんぱか》りとして、ベシイはこの良人《おっと》の処置を悦んだが、案外それは近い慮《おもんぱか》りだったのだ。これで安心したヘンリイは、ただちに第二の支度《したく》を急いだ。
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