Eマンデイは、それからまもなく、ウエストン・スウパア・メアのタケット夫人の下宿へ移って、ひとり静かに心の痛手を癒《いや》すことになった。いっぽうヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスは、ブリストルに待っている情婦エデス・メエベル・ペグラア―― Edith Mabel Pegler ――の胸へ帰っていた。ベシイ・マンデイから捲《ま》きあげた金で、彼らのうえに、またとうぶん情痴《じょうち》と懶惰《らんだ》の生活が続いた。
 それが二年も続いている。その間は犠牲者がない。この期間をスミスはペグラアと一緒にブリストル、サウセンド、ウォルサムストウ、ロンドンと住み歩いて最後にまたブリストルへ帰ってきた。それが一九一二年の二月で、本稿の冒頭に記した「アリス・バアナム事件」を先立つ約二カ年のことである。筆者は事件を主眼に、年代を追わずにこの記述を進めていることを、この機会に一言しておきたい。
 二月にブリストルへ帰って来た時は、スミスは財政的にかなり逼迫《ひっぱく》していた。ただちに女狩りに着手して、ウェストン・スウパア・メアへでかけた。そしてふたたびベシイ・マンディに会ったのだが、初め
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