揩チたということは、考えてみると、不思議な気がするのである。が、スミスも、いつまでもそう一家の主人として納まっているわけにはゆかない。「商用」が彼をペグラアの抱擁《ほうよう》から引き離して旅に出した。あの「ヘンリイ・ウイリアムズ」がベシイ・コンスタンス・アニイ・マンデイに逢ったのは、それからまもなくだった。
マアク・トゥエインの言葉だったと思う。寝台ほど人命にとって、危険な場所はない。その証拠には、多くの人は寝台の上で死ぬじゃないかというのがある。
実際そのとおりで、こう近年になって方々で女――それも結婚してまもない女に限って――が浴槽で急死をするようでは、花嫁にとって浴槽ほど危険な場所はない。これはおいおい花嫁の入浴を厳禁する法律でも出さなければなるまい。だれが言い出すともなくそんな笑い話のような巷《ちまた》のゴシップが、霧に閉ざされたロンドンを中心に行なわれ始めた。川柳《せんりゅう》の割箸《わりばし》という身花嫁湯にはいり、紅毛人のことだからそんなしゃれたことは知らないが、なにしろあっちでこっちでも、裸体の花嫁がはいったきり浴槽が寝棺になってしまうのだから、花嫁専門の不思議な伝染病でも流行《はや》りだしたように、かすかに社会的恐慌を生じた。
スミスは一つ忘れていたことがある。新聞記事である。もっともどの事件も他殺の疑いなどは毛頭なくたんなる過失として扱われたのだから、大きくは載《の》らない。巷の出来事といったようないわば六号活字の申訳《もうしわけ》的報道に止まる。が、小さい記事だからあまり人眼に触れまいと思うのは大変な間違いである。新聞というものは、おそろしいほど隅から隅まで読まれているものだ。とにかく眼が多い。閑人《ひまじん》が多い。花嫁が浴槽で死んだなどという記事は、ちょっと変っているから、案外長く記憶している人がすくなくなかった。それがこうたびたび、何年か何ヶ月かおいて、あちこちの「巷《ちまた》の出来事」として現われたのでは、またかというので、いつからとなく、うっすらとした不安と疑念が世間に漂い出すのは当然である。実際、スミスがついに尻尾を捕まれたのは、この周期的に反復する小さな新聞記事からだった。
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故アリス・バアナムの兄チャアルス・バアナムは、アストン・クリントンの家で、その週の日曜新聞を読みながら、おやと声を上げた。そこ
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