ム起《た》ちえなかったのだろう。悲しむべき不注意である。口々に慰められて、ロイドはぽかんと口を開けて空を凝視《みつ》めているかと思うと、激しくマアガレットの名を呼び続けたりした。発狂か自殺の懼《おそ》れがあるというので、忙しいブラッチ夫人にとうぶんロイドを見張る用事が付加された。が、三日後にロイドは泣きの涙のうちに、ジェパアンズ・ブッシュの弁護士に頼んで、遺書によってマアガレットの遺《のこ》した物を掻《か》き集め、「泣く泣く」七百ポンドの保険金を受け取っている。が、このマアガレット殺しが、ブリストルの骨董《こっとう》商ジョウジ・ジョセフ・スミスの最後の「掘出物」であった。自分でもおおいに意外だったろう。足はなにからつくかわからない。
 殺人鬼とか殺人狂とかいうこの類型に属する犯人には精神異常者が多いというが、このジョウジ・ジョセフ・スミスは例外だった。細心をきわめた手口を観《み》てもわかるように、彼はじつに組織的な時としてははるかに普通人を凌駕《りょうが》する明徹な頭脳の所有者だった。普段は怠惰《たいだ》なくせに、「浴槽の花嫁」の場合にだけ、異様に敏活巧緻《びんかつこうち》に働くのだから、その点がすでに病的だといえばいえるけれど彼の日常の言動を精査しても、何度専門家が鑑定しても、なんら精神的反応を呈《てい》さずに報告はいつもネガチヴだった。それだけ彼が明るみへ引き出された時、世間の憎悪と恐怖は大きかった。彼は建築家のごとく平均を重んずる心で殺人の設計を立て、軍略家のように先を見越して行動し、船長の持つ正確さで犯罪を運転して、半生に亘《わた》って人命の破壊とそれによる財物の横領を職業としたのだ。何人の女を浴槽で殺したか、その数はとうとう明確にわからずに終った。スミス自身カタログを発表したことがないからだというのだが、つまり、カタログになるほど多勢だったことは事実である。この犯罪が発覚した時、世人が色を失って戦慄《せんりつ》したのは無理ではなかった。
 George Joseph Smith はベスナル・グリインの保険会社員の家に生まれた。一八九六年に軍隊から出て来るとすぐ女狩りを始めて、その「浴槽の花嫁」なる新手は、十八年後に刑死するまで継続された。頻繁《ひんぱん》に名を変えているので、除隊になってからの足取りを拾うことははなはだ困難とされている。一八九七年に女のこと 
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