、浜に流れ着いたと言って届け出られた。まさに沈まんとするワラタ号から、誰かが其のメッセイジを書いて、壜に封じて海中へ投げ込んだものに相違ないと言うのだ。これが、六つの場所から六本提出された。生死の境に嫌に落ち着いて、死の哲学といったようなことを長ながと書いてあるのもあれば、女学生の詩みたいに変にセンチ一方のもある。そうかと思うと、如何にも倉皇の際に認めたらしく、字など狼狽《あわ》てていて殆んど判読出来ないながらも、沈没に到る経路を、可成り専門的に要領よく書いてあったり、中には、
「二十八日 午前二時三十七分! これぞ余に約束せられたる死の時間なりしとは! いま、船室にありて之を認め居る余の足は、既に海水に洗われ、膝を没せんとす。船内灯火|尽《ことごと》く消えて、僅かに星明りにてペンを走らすのみ。余が妻は嬰児を抱きて、石像の如く余が傍らに立てり。相顧みて千万無量の微笑、最早や凡べては畢《おわ》んぬ。海中に投じらるるも離れじと、妻は今己が帯革もて、余と児と自らを縛しつつあり。おお神よ、今し余らは御許に急ぐ――」
などというのがあって――これは原文を載せると余程面白いのだが、ちょっと長いか
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