。ジイン・オリファント号や其の他の船で此の少女の屍体を見たというのは、ずっと後のことで、何うも怪談のような、掴まえどころのない話しに終っている。S.S Insizwa という船の船長も、八月半ばの晴れた日の海面に、矢張りバッシイ河口に近く、この「赤いガウンの少女」を認めたとある。そんなら何故ボウトを下ろして収容しなかったのか、そこは何とも言っていない。船の名や人名など尤もらしく色いろ出ているものの、恐らくこれは、よく斯うした怪奇事件に附きものの、根も葉もない噂に過ぎなかったのだろう。
 ワラタ号の行方捜査に当っては、英本国から派遣された三双の軍艦の他に、濠洲政府は Seven 号を出して一箇月半、約二千七百哩を巡航させたし、B・A・Lは特にセエビン号―― The Sabine ――を傭船《チャアタア》して、九月十一日にケエプ・タウンを出帆して八十八日間、実に一万四千哩以上の海面を捜索せしめている。これが最後の捜査だったが、このセエビン号は、ちょっと興味のある理論を立てて捜索に従事した。と言うのは、この十年前、一八九九年に、ワイカト号 Waikato という船が、丁度ワラタ号が失踪した通
前へ 次へ
全29ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧 逸馬 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング