形として、竣工の翌年、一九〇九年四月二十七日に、ワラタ号は濠洲へ向けて第二回の航海に出発する。イルベリイ船長、コックス機関長、T・ノルマン一等運転士の他は、高級船員から乗組員全部、この一航海だけを期間に雇われた者許りだった。船と一緒に行方不明になるために、この乗組契約に署名のペンを走らせた人達だ。前に言ったように乗組員百十九名濠洲の港にあちこち寄港した後、七月七日、アドレイドを出帆する。Adelaide ここは、タスマニア海峡をすこし北上したところで、筆者も訪れたことがある。如何にも濠洲らしく鄙びてはいるが、鳥渡した港町で、大学などもある。このアドレイド港で濠洲に離れたワラタ号は、同月二十五日に南亜のダアバンへ着き、補炭とともに、新たに二百四十八噸の貨物を積み込む。で、一万噸以上の積荷で二十六日ダアバン港を出たと言われているが、次ぎの寄港地は、何度も言う通りにケエプ・タウンである。翌二十七日の午前六時に、ワラタ号より数時間先だってダアバンを出港し、イースト・ランドンへ向っていた例のクラン・マッキンタイア号―― The Clan Mackintyre ――を追い抜く。その時、両船の間に交
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