ルウ・アンカア・ライン》は尚三箇月間、責任の捜索船を置いて、延べ航程一万五千海里も附近一帯の海上を遊弋《ゆうよく》させてワラタ号の破片でもと探し求めたが、これ又何の得るところもなかった、爪立ちして待っている陸の会社へ、捜索船隊は次ぎつぎに失望を齎して帰って来る。最早ワラタ号の行方不明に関して、一つとして満足な説明はないのである。今日まで無い。
 その当時、多くの人が多くの理論を提げて、此の神秘に断案を下すべく現れた。
[#ここから1字下げ]
 A説――ワラタ号は機関に重大な故障を生じて、廃船状態の儘、まだ何処かの洋上を漂っているに相違ない。きっと舵のコントロウルを失って、遠く南極洋へ彷徨い出たのだろう。そうだと、不安と飢餓と寒気が、乗っている人を一人ずつ歯のこぼれるように殺しつつあるだろう。そして、その行手に待っているものは、文明社会との永遠の絶縁だけだ。
 B説――いや、そうではあるまい。水の漏る箇所が出来たか、或いは、浪が高くなって甲板上の開いた船艙《ハッチ》から浸水し、そのために、そっくり船の形のままで沈没したに決まってる。だから、破片や屍体が一つも浮かばないのだ。
 C説――それならば、クラン・マッキンタイア号の報告した大暴風雨を受けて、あっという間に安定《バランス》を失い、忽ち覆伏したものと考えるのが一番簡単ではないか。殊に、今度の第二回の航海に出るに当り、処女航海の経験に徴してワラタ号の船長は、非常に船の安定を気にしていたという事を思い合わすならば、此の想像は最も妥当性のあるものとなる。
[#ここで字下げ終わり]
 この解釈が一般に行われて、今もそういうことになっているのだが、しかし、此れは何処までも、クラン・マッキンタイア号の報告するような大暴風雨が事実あったものということを前提にしての話しである。尤もワラタ号は「|頭の重い《タップ・ヘヴイ》」気味があって、何うかすると非道く動揺し易い傾向の船だったことは、色いろ証拠が残っている。荷物も、うんと積んでいたらしい。で、荒海《しけ》を食らって揺れが激しくなる。船艙《ハッチ》の荷物が動いて片方へ寄る。こうなると傾斜は直らないところへ、益ます猛烈に浪をかぶる。一際大きな怒濤が来れば、即座に万事解決、簡単に引っくり返るであろうことは想像出来るのである。濠洲からダアバンまでワラタ号に乗って来て、余り「頭が重く」て揺れの激しいとこに、不安を感じて旅程を変更し、ケエプ・タウン港まで行く筈だったのが、他の便船に依る心算《つもり》で急にダアバン港でワラタを下りた客が一人あった。普段から信神深い人だった――か何うかは知らないが、差詰め夢枕か何かで、神のお告げでもあったのだろう。実に運の好い人で、虫の知らせでこのダアバン、ケエプ・タウン間のワラタ号に乗っていなかったばっかりに助かった訳だが、この人は、幾らか船の知識や経験があったらしく、今も言ったように、濠洲からダアバンまでのワラタの揺れ具合いで、こいつあ危ないと感じたのだ。ほかにも、この前の処女航海に乗った人があちこちに現れて、皆ワラタは「頭の重い」の感じで不安な船だったと口を合わしている。これらが一層覆伏説を裏付けて、ワラタ号は大颶風に捲き込まれて瞬く間にくるりと船底を見せ、海中深く呑まれ去ったもの――という臆説が、先ず満足に近い解決として今日に及んでいるのだが、併し、それにしては、あれだけ長期に亙る大規模の捜査に係らず、船体の破片、船具、荷物、屍体などが、一つとして発見されないのは確かに神秘である。何か漂流しているか、海岸に流れ着くか、兎に角、一万七千噸もある大客船が沈没した以上、何かしらそれだけの証跡がなければならない。あるのが理窟であり、また常例でもある。ところが、くどいようだが、ワラタ号の最後を語る何らの発見物も無いところに、この事実物語の魅力があるので、ワラタ号を題材にした幾多の海洋冒険小説は、実にこの点に生れた。或いは、全員、海図にない無人島に漂着して新しい社会を営んでいることの、そこでは、新型式の結婚――九十二人の船客の中には女性も沢山いたに相違ない――によって子孫が殖え、新しい都会と、農作と、議会と、牧畜と、産業と、平和と闘争と秩序と、一言には、すべて新奇のそして小型の人類生活が開始されているというのやら、あるいは、いまだかつて人間の知らない海の巨大動物が現れて、ワラタ号を人諸とも一呑みにしたのだことのと[#「したのだことのと」はママ]、怪異な事実によってスタアトした空想は、限りなく伸びる。見て来たような話しが伝わった揚句、おれこそはワラタ号の生き残りだなどと言い出すいんちき人物も、其処此処に現れたものだ。筆者らが少年時代に胸を轟かせた押川春浪式の読物は、多くこの「ワラタ号後日物語」といった形式のものである。全く今でも
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧 逸馬 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング